「オワコン化するレジェンドたち」
ついに、というべきか。
「きらきらアフロ」が9月いっぱいで終了することが発表された。
私自身、「きらきらアフロ」は初回から見ているわけではなく、最近になって気が向いた時にレコーダーのタイムシフト再生でちらっと覗き見する程度だったのだが、「笑っていいとも!」然り、25年以上続く長寿番組が幕を下ろすというのは、テレビフリークとして感慨深いものがある。
ここのところ、「レジェンド芸人のオワコン化」が急速に進んでいる。ある意味では老害といってもいいだろう。最近でも明石家さんまの度重なるセクハラ発言について考察めいたバッシングをくわえるニュース記事が後を絶たないし、本人も半ば自虐的に認めている。
笑福亭鶴瓶は物心ついた頃からテレビでしょっちゅう見ている芸人で、今でも「ヤングタウン日曜日」や「日曜日のそれ」は毎週欠かさず聴いているほどのファンなのだが、やはり「オワコン化」の波に抗いきれているかと問われれば、首をかしげざるを得ない。
これは決して、芸人本人だけの問題ではない。さんまにしても鶴瓶にしても、彼らなりの方法論によって時代にアジャストしようと努力しているし、本来持つ凄み、底力が完全に衰えたとも思えない。
しかしながら、彼らが芸人として培ってきたテクニックや笑いの方程式が時代との乖離によって徐々に通用しなくなっているのは事実である。変化の源流にあるのがコンプライアンスなのか、あるいはポリコレなのかはわからないが、私から見ても芸人として苦悩し、もがいているのが伝わってくるのだ。
その意味では、レジェンド芸人でありながら「いち抜けた」とばかりにフェードアウトのフェーズに入ったビートたけし、タモリは賢明だったと言えるかもしれない。
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