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黒澤明『生きる』鑑賞


 生きとし生けるもの、誰もが死は避けられない。
 古代以来、多くの哲学者が「いかに生きるべきか」という命題に対して思考を巡らせてきたが、何も哲学者に限ったものではなく、誰もが死ぬ時には「幸せな人生だった」と言えるような生き方をしたいと思っている。しかし、多くの人は惰性で時を過ごし、いつの間にか人生を終える。そして多くの人は言う、「人生って短い
『生きる』は、30年間真面目に公務員として働き続けている市民課長、渡辺勘治(志村喬)が主人公である。請願者をたらい回しにする「お役所」で、渡辺はただただ書類に判を押す仕事をし、仕事に対する熱も何も失っていた。惰性で仕事を続ける中、胃に違和感を覚えて医者に行くと、レントゲン写真には白い影が…

前半あらすじと「生きること」

あらすじ

 胃癌という事実上の死刑宣告を受けた彼は、悲嘆に暮れる。さらに、唯一の仕事の支えであった、男で一つで育ててきた一人息子の光雄にも幅にされる追い打ちを受けた。
 やけくそになり、コツコツ貯めた預金を持って慣れないヤケ酒をしていると、遊び人の小説家と出会った。ギャンブル・キャバレー・スプリットなどの遊びを経験するがしっくりこない。
 その翌日、辞職届を提出しようとしていた部下の小田切とよと偶然に会ったことが転機となる。渡辺は彼女の若さと溢れる精力に惹かれ、何度か食事を一緒にし、依存に近しい関係となった。最後の食事の際、痺れを切らした小田切に病気のことや胸の内を吐露し、彼女に「何かを作ること」を勧められたことで光明が差した。一念発起してカフェの階段を下る渡辺のバックでは、奇しくもお隣の誕生日会で「ハッピーバースデーソング」が合唱されていた。今までの、惰性で情熱も無く過ごしてきた公務員としての自分を捨て、真に自分の人生を生きられるように生まれ変わったのだ
 翌日から出勤した彼は、お役所仕事が罷り通る中でも「やる気になれば」と、住民たちの要求する公園づくりに尽力し、約5か月後、その公園で死亡しているのが発見された。最期は、雪の中でブランコに乗り、「ゴンドラの唄」を楽しそうに歌っていたという。

渡辺にみる「生き方」

 私は『生きる』を観ていて真っ先に思い浮かんだのが、古代ローマの哲学者セネカの『生の短さについて』である。『生の短さについて』において、セネカは「人生が短いと言いつつ、他人のために心をすり減らしたり、仕事の忙しさにかまけたりして人生を浪費している人の多いこと多いこと…」(素人解釈)と嘆く。
 渡辺も病気が発覚し、死を意識して初めて生に真剣に向き合った。そして、自分らしい生き方や自分が打ち込めることを知って初めて、真に幸福に生きられ、死ぬことができた
 生死に向きあう時間を得られた渡辺は幸いだ。死がいつ来るかなんてことは多くの場合分からない。すると、突然倒れ、布団の上で今までの生き方を反省しつつ死んでいくことも往々にしてあるだろう。常に死に向かいつつある中で、幸福な悔いのない死を迎えるためには、いつ来るか分からない死を意識し、真に生きることを模索することが必要だと感じた。

「ゴンドラの唄」

 二度ある「ゴンドラの唄」の歌唱シーンは、生き方を見つける前後の渡辺の心情を象徴するものである。
 最初は、小説家に連れられてきたキャバレーで、悲愴な表情で歌うというか呻る。ここでの「命短し恋せよ乙女」は、病気が判明して間もない中で「自分の生き方は何だったのか」と後悔をする気持ちが表れている。
 最期の、人生の終わりに尽力して作った公園での「命短し恋せよ乙女」には、悲愴な気持ちは表れていない。人生の短さを悲しんだり、死を恐れたりしているのではなく、正真正銘生きているのである。生の喜びを歌っているのである。
 また、青春時代のこの歌を歌うことで、大人として忙殺されるようになった以前の生気は溢れる姿と、最期に生を見つけられた姿とを重ねる効果もあるのではないかと思う。

後半あらすじと官僚主義風刺

あらすじ

 後半は通夜の席での同僚や、助役らのやり取りから官僚主義への痛烈な批判が繰り広げられる。助役は公園建設を自分の手柄にしようとするが、線香をあげに来た地元住民の涙する姿を見て居た堪れなくなり、退席する。その後、硬直した官僚主義社会の中でも、一人の住民に向き合う公務員として燃えるように奮闘した渡辺の最後の生き方が明るみに出ることにより、市民課の同僚らは「渡辺さんに学ぼう!」と仕事に対する決意を明らかにした。
 通夜の翌日、新課長の下での業務が開始した。昨晩、あれだけ息巻いていたのにも拘らず、請願をたらい回しにする「お役所仕事」を続けるのであった。

「お役所仕事」の宿痾

「生きること」がテーマであるから官僚主義批判は飽くまで副題であろうが、通夜での同僚たちの問答は見る価値がある。
一人一人はやった方がいいと分かっちゃいるが、職権や面子があるからと、分を弁えることが強いられる。上司を批判するにも、ヒラメにならないとやっていかれない。これは、役所だけではなくいかなる組織(学校、メディア、政党etc.)に当てはまる。
 渡辺の熱心な行動を見て、このような状況のおかしさに気づいたにも拘らず、翌日には殆どの人が実際には行動できないというのも、「お役所仕事」という宿痾への痛烈な風刺である。

結び

 寡言な渡辺であるが、志村喬の名優ぶりが発揮された映画であった。特に、「生まれ変わる」以前は光のない目だったのが、途端に灯りが灯ったシーンは流石としか言いようがない。
 構想初期のタイトルは『渡辺勘治の生涯』であったそうだが、黒澤明(天皇)の一声で『生きる』と変更された。一人の夢も希望もない中年男の晩年、と言えばなんだかパッとしないが、人間の永遠のテーマでもある『生きる』を題としたことも名画である所以だろう。

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