個人的名大生観

 誰かに言葉を届けたいという理由があるでもなく、思考の掃き溜めとして作ったアカウントである。(記念すべき?)初筆として何を記そうかということであるが、入学から早も3カ月が経とうとしている名古屋大学について、学生に主眼を当てて書こうと思う。
 掃き溜めである故、考えたことをつらつらと書いている。乱筆であること、話題を無秩序に広げかねないことはご了承願いたい。また、個人の思考故、一管見として見ていただきたい。
 
 名古屋大学(以下名大)は(腐っても)旧帝であり、中部地方の大学の頂点である。企業天下の愛知県において、「人材の宝箱」として重宝されることはよく知られている。そして、名大生には他の旧帝や他の県下の大学生にはない色がある。それは、特別「保守的」であるということである。そもそもこの「保守的」とは…ということだが、これは政治的なものではなく、生き方としてである。(もっと分かりにくくなった…)
 
 数日前、名城線に乗りながら友人と話していたのだが、名大に入って以来、経済格差と文化資本の格差を露骨に感じる。どこの旧帝レベルの大学でも同様の現象は見られるとは思うが、ハイレベルの大学に入れる学生の多くが「小ブルジョワ的」になっている。逆を返せば、貧しい家庭の子供が入り辛くなっているということである。無論、これは学生や家庭に責任がある訳ではない。高学費や受験産業の過熱化など、構造的なものであろう。
 
 構造的理由として、経済格差を理由とする「学歴の固定化」を仮説として考えた。
 第一世代 私たち現役大学生の祖父母世代は「焼け跡世代」が多いだろうが、彼らは大学進学率が低いものの、貧しい家庭の子供も一所懸命勉強をして大学進学をした。そして彼らは他の中卒・高卒の人に抜きんでた給与を得る。
 第二世代 安定成長する経済の下で育った彼らの子供世代、つまり1975~85年生まれの世代では学生運動も下火になり、学費も上がる。また「受験戦争」と謳われたのもこの時代だ。この情勢の下、高学歴・高年収の親を持つ受験生は高い文化レベルで育ち、当時隆盛し始めた予備校に入り、受験を有利に進められた。(彼らの世代は就職氷河期で後々問題が出る)
 第三世代 そして我々の世代では国公立で53万円という高額費、親の世代からさらに進んだ受験産業のもと、「1億総中流」と言われた時代が終わり「強者」として残った「高学歴3代目」は経済力にものを言わせ、小学生時代から塾に通い、一流高校に入り、ハイレベルな大学に入る。周りでも中学受験を経験した人が多いというのも、このヒエラルキーを物語っている。 
 
以上が「学歴の固定化」が起こった過程(この過程は、よく言われる「東大生にはイケメンが多い」という事象の説明にもなるがおいておく)であり、名大生にも多くの「高学歴3代目」がいる。これを踏まえ、なぜ名大生が「保守的」であるのかという理由を考える。以下がその理由である。

①「学歴の固定化」の結果…
先ほど述べた通り、「高学歴3代目」ないし2代目が多い。よって、恵まれた家庭環境で過ごしてきている人が多いので、高学費にも困らず変革をする必要性が感じられない。

②高い地元志向…
最初でも述べたが、愛知県ないし東海地方は企業天下である。それゆえか、我が校の入学者のうち、愛知県内からの進学は50%超であり東海4県だと70%を上回るという数字である。既定のルートで成功を求めようとするのは首肯できよう。

③親世代の就職氷河期の経験…
高学歴・高収入の親、つまり就職氷河期での「勝ち組」の親をもつ学生は①で述べたとおり。就職氷河期での「負け組」の親が子供に同じ思いをさせたくない一心で教育を受けてきた学生は、生活は決して安定していないので変革を求める意思はあるが、変わらない無力感から変えたくても変えられないと思うきらいがある。

④地方旧帝意識…
冒頭でも述べたが腐っても旧帝であるので、地方では群を抜いているという優位意識はある。しかし、所詮は地方国立であるので自分を含め東大・京大への、学歴やそもそもの能力にコンプレックスがないわけではない。この名大の持つプライドと若干の劣等感から、「名大の自分は高学歴」という意識をかえって強く持ってしまう。このことが、現状に満足を与える。

「保守的」であることの問題点
 ここまで、なぜ「保守的」であるのかを考えてきたが、ここでは何が問題なのかを述べる。
 まず、単に「保守的」であるきらいがあること自体は問題ではなく、 前途が不明な時代に我が身を大切に思うのは極めて自然なことでもある。しかし、「保守」が過ぎて自分のことだけを考えるようになってしまった途端に問題が生じる。例えば学費の問題について、恵まれた家庭の出身者は痛くも痒くもないかもしれない。しかし、そうではない学生は富裕な学生からしたら問題でない学費が苦しい。この現状に対し、「自分は困っていないから」の精神で、恵まれた学生が問題に思わないこと、学費のために週5でバイトをしている同学年に心を痛められないことが問題なのである。
 
 中部地方でのトップ校を卒業していく名大生は社会でそれなりの地位を得ることも多いだろう。多数ではないと思うが、困っている人の痛みを感じられない人(自分も部分的に含まれる)が社会の中枢に立っていけばどんな社会になるのか不安な点である。
参考までに、名大のスローガン「勇気ある知識人」は「責任感をもって社会に貢献しようとする高い志とグローバルな視野をそなえ、幅広い教養と高い専門性を身につけ、人々の幸福や持続可能な社会の発展を妨げる諸問題の解決に積極的に寄与できる人材」(名大HP 名大の教育を支える3つの方針)を参照されたい。


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