神様を信じていた

この日のラジオのテーマが、「あなたが信じていること」でした。

みなさんが信じていることはありますか?

信仰心は生まれ育った環境や地域、自身の信条などによって様々ですし、一概に自分の考えを他人に押し付けることはできませんよね。

占いを信じてラッキーアイテムをチェックしている、おみくじの結果を信じて行動している、亡くなったご先祖さんの存在や、神様仏様を信じて毎朝手を合わせている、など、人それぞれかと思います。

私は環境的に信仰心は薄く、何かを強く信じるタイプではありません。

でも、人並みに子供の頃はサンタさんを信じていたし、飼っていたインコが死んでしまった時は、空の雲がインコの形に見えて、「ピーちゃんは空にいるんだ」などと、信じたりもしていました。

大人になるにつれ、世間に揉まれ、純粋な子供心は薄れるものの、子供の頃に信じていたものというのは、心のどこかに根付いているように感じます。


さて、子供の頃、実家の仏壇には、隣の家に住む祖父が毎朝やってきて、お水をお供えしていました。

私も気が向いた時に、たまに祖父と一緒に手を合わせていました。仏壇に手を合わせている時、心の中で「神様、今日もいい日でありますように」と呟き、光り輝く神様を思い浮かべて、満ち足りた気分になっていました。神棚は別のところにあり、仏壇には神様はいないのに。

そう、あの頃の私は、神様の存在を信じていたのです。

なぜなら、神様が幾度となく私を助けてくれたから。

そんなわけで、何か困ったことがあれば、仏壇にお線香を立てて手を合わせ、「神様、お助けください」とお祈りしていました。


子供の頃、歳の近い姉とよく姉妹喧嘩をしていました。noteでは書けないような罵詈雑言を浴びせ合い、取っ組み合いの喧嘩をすることもありました。

いつもの喧嘩の常套句、"絶交宣言"をして部屋に戻って宿題をしようとすると、鉛筆がない。消しゴムがない。ペンがない。

懸命に探しても見つからない。そんな時、私が向かう先が仏壇だったのです。仏壇に手を合わせ、「神様、助けてください!鉛筆を見つけてください」と必死でお祈りしました。

すると、部屋に戻ると鉛筆が見つかるのです。消しゴムも、ペンも。

毎回こんなことが続くので、「私には神様がついている!」と心底信じ込み、家族や友達にも「神様にお願いするとなんでも叶えてくれるんだよ!」と、嬉々として語っていました。

そして、神様に助けられた日には、ほくほくとした気分でお布団に入り、にんまりしながら眠りについたのでした。

しかし、勘のいい方はお分かりのように、この一連のパターンにはからくりがあったのです。何のことはない、鉛筆や消しゴムやペンがなくなったのは、喧嘩の腹いせで姉が隠していたこと。私が仏壇に向かう姿を見て、いよいよやりすぎたと怖気付いた姉が、そっと元の場所に戻していたのでした。

毎回喧嘩の後に鉛筆がなくなった時点で、冷静に考えると、姉を疑うのだろうが、子供のころの私は整理整頓が苦手で、物を失くしてよく怒られていたので、「また、やってしまった!」と思い込んでいたのでした。

今では笑い話ですが、この経験から、私の「神様、お願い!」癖は今でもどこかで残っていて、ピンチに陥った時、あの頃の頼もしい「神様」が現れて、助けてくれるような気がしているのです。

姉が仕立て上げた「神様」のおかけで、なんともおめでたい大人になってしまったようにも思う。けれど、笑えてしまうほど根拠のない拠り所も、いざという時にはあってもよいのかな、と最近思ったりもします。


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