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ネプチューンが凧揚げをして祈る中秋の名月

中秋の名月の早朝、わたしの家では先祖供養の祭事があり、海のもの山のもの、4本足の動物や鳥、野菜、穀物、果物、お菓子、甘いもの、辛いもの、酸っぱいもの、あらゆるご馳走を並べて、ご先祖様を迎え入れ、お酒をふるまい、豊穣への感謝を祈ります。

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せっかくなら飛鳥の果物をお供えしようと思っていたのだが、なぜか、お昼ご飯を食べたら眠ってしまい、夕方、直売所へいくとほぼほぼ売り切れてしまっていたという痛恨のミスをおかし、かろうじて、今週、朝に拾いつづけた裏山の栗だけ、Yataの家からの恵みとして、お供えすることができた。

実家へ向かう道すがら、大型スーパーでぶとうと梨を購入。果物は種類の違うものを3種類。ものごころついた頃より、毎回、母からお供え物のルールを聞かされているが、いまだに覚えていられない。子どもに恵まれなくなるから、種がある果物でないといけないと言われていたような気がして、種ありのぶどうとナシを購入したのだが、1種類足りず、急遽、家にあったキウイを供えた。

なんだかとんちんかんな感じだったが、出来上がった御膳がとても美しかったので、めずらしく写真におさめた。
母がいなくなったら、この古い朝鮮半島の風習を続けていけるか自信はない。私が子どもの頃は、次の世代が継いで行くことを当然とされていて、とても厳しく祭事のルールを教えようとする母がいた。欠席することも許されなかったし、少し大人になると、旧暦をみないといけないし、そもそも興味がないので毎年いつなのかわからなかった上に、予定を自由にいれられないことに辟易し、ただただ抵抗し続けてきた。

先祖が続けてきた祈りによって、私たちは守られているのだという母の言葉は、長く、私を素通りしてきた。むしろ、ではなぜ、大切な家族が病気で苦しんだり、大切な人同士が揉め続けたり、若くして亡くなったりと、そんなことばかりが続くのかと、ご先祖様に抗議したいほどだった。

10年ほど前、友人に連れられて興味本位で会いにいったモンゴルのシャーマンが、私の顔をみるやいなや、「ご先祖様から伝えたいことがあると言われています」と言われ、驚いたことがあった。
いまの先祖の地よりもさらに北にいたという先祖の祖の祖という人がいらしていて、「自分たちの現実に都合よく、先祖が大切にしてきたことを曲げてはいけない。いま、良いとおもっていることも、そうではない。先祖がやってきたことを知りなさい」と、厳しく怒られた。よくあることだが、仲介してくださったシャーマンは、その後、別にツボを売りつけようとしたり、何かをしないと○○になるとか脅してくることもなにもなかった。「なんか、怒ってはるわ」と、私たちはどうしたらいいかわからず困ってしまい、とりあえず、朝鮮半島への旅を始めることにしたのだった。

こころが決まったら物事が動く。先祖の祖から私にめんめんと続く道の壮大なパズルのワンピースをいただいたのだと思う。まだ、全貌はみえていないが、この10年間、私には壮大すぎたパズルの部分部分はいくつかできあがっている。それらがどのようにつなぎ合わされていくかは、まだ、これからなのだろう。

毎月、お水を汲みにいってお参りをするお不動さまの洞窟で、翌日に先祖供養の護摩があると案内され、初めて本堂にあがり、外のおどろおどろしさからは想像もつかない天国のような伽藍を拝んだ。龍にのる観音さまがひときわ輝いてみえた。ちょうど、お彼岸の日だった。

護摩に書くために、母方の本貫を調べ、その後、インターネットで本貫のルーツを辿った。6世紀ころ、ちょうど、高句麗から高麗になる頃か?3人の家来の1人がその本貫を賜り始まったと記されていた。場所は現在は北朝鮮の国土となっているケソンという町。一時は南北共同で始まった工業地帯だったが、関係悪化でいまは閉ざされている場所。西側には金剛山が連なる霊場がある。手付かずの自然が残っているであろう、いつか訪れてみたい場所のひとつだった。

インターネットで追えるのはそこまでだが、ルーツの調査を独自に続けているいとこの話では、さらに遡ると中央アジアに至るとか。公開されている資料も限られているため、まゆつばなところも多々あるが、記憶に残る大柄で立派な顎髭をたくわえた祖父の姿は、祖先が雄大な大陸を渡ってきたと想像しても違和感はない。北斗七星に祈りを捧げ、星をよみ、薬を調合し、村の祭事をおこなってきたという祖父。

母が80歳を目前に、いま、我が家の祭事は自由参加になっていて、準備を手伝うととても感謝されるようになった。いまのところ、誰も帰ってこなくても、1人で粛々と祭事をやり続け、潔く自分の代で閉じようとしているかのような母の姿に、祈りの本質をみるような気がしている。

今年の中秋の名月は牡羊座の満月だった。春分の日の翌日に牡羊座で新月だった月が秋分で満ちた。中秋の名月が始まる時間の星を改めてみてみると、土のサインの現実的なカイトが強烈に目に入ってきた。
海王星の王ネプチューンが、水星を頂点とする、天王星と冥王星との正三角形の凧を大空にあげて遊んでいるかのよう。魚座にいる海王星はとてもパワフルで、一度完成された現実世界に安住することから、また一歩、外へ出なさいと、深い感情でもって現実を揺さぶる、強力なマジックを発動しているようにみえた。

夢想家のネプチューン(海王星)が自宅にやってきて、玄関の扉をノックした。現実を超えて存在する目に見えない世界を知りたがるウラヌス(天王星)がドアをあけて混乱を起こし、安定した現実が壊れていくことへの恐れから、安全圏に留まるために自身をコントロールし続けることの手放しを破壊の帝王プルート(冥王星)が快諾してネプチューンを自宅に招き入れてしまい、舞えや歌えやのどんちゃん騒ぎが始まってしまったかのようなイメージ。
物質的にも恵まれ、居心地のよい自宅と現実の生活を、思考でキープし続けて安穏としていたヘルメス(水星)が、突然、パンツ一丁で天に放りだされ、凧の頂点であたふたしているかのようにみえて笑ってしまった。普段、トリックをしかけるのは、ヘルメス、北欧神話でいうところのロキである水星だから。グランドトラインを一緒に組んだ相手が、目に見えない世界の住人である、ウラヌスとプルートでもあったわけだから、宇宙から巧妙に仕組まれていたとしか思えない展開とも思える。
社会と繋がる知性とコミュニケーションの力をもつ水星が本気をだせば、ものごとは一気に動いていく。

今回の満月を迎えるにあたり、12ハウスで迷い続けた月は、自分自身の感情と他者の感情を切り分け、物事に集中することを学び、少し休憩。2日後には1ハウスへ移動し始動。物質的な安定やこの世界でわかりやすい表現を目指す牡牛座に入る。

今回の満月に至る牡羊座の新月は、仕事を示す6ハウスでおこっていた。1日前の春分の日には月は魚座にあり、新月とともに牡羊座に移動し、12星座の学びの一巡を始めた。このころ、絵を描いて生きていきたいなぁと夢想していたことが、アニメーションをつくる仕事として、本格始動していた。わりと大きなプロジェクトで、私にとっては新たな挑戦だった。
制作自体は8月で終わっていたが、秋分を迎える今、制作費のお支払いがそろそろある。ちょうど、一区切りといったところ。

10月からは新たなアニメーションの制作がスタートする。ほんとうに少しずつ少しずつ、私の太陽が海王星とタッグを組んで、よちよちと歩き始めていることを実感している。

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