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石の寿命

21歳の女の子(僕の基準からすれば40歳過ぎまではこの範疇はんちゅう)を相手に、動画教室を一席ぶった。ご近所の滝と古墳こふんのある小高い丘の2か所で行う。

写真はどなたかから教わった経験があるというが、動画撮影は全くの初心者だ。この日の目標は練習で撮った映像を、彼女自前のMacBook Airで編集するところまで、一通り経験させてしまおうというものである。

無茶なようでも完成形が一つあれば、そこから反省点や次の作品に向けた創作意欲が生まれるはずで、動画に関しては習うより慣れろの世界なのだ。
そんな大層な能力があるわけでもないが、他人ひとさまに教えること自体、自分にとっても得難い勉強である。午後1時に現地集合でスタートした。

滝までの細い道を、ミラーレス一眼(LUMIX DMC-G8/12-60mmレンズ)を首から下げた彼女が先に歩く。しばらくどうするか観察していたが、カメラを構えたり、周囲の環境に注意を向けたりする気配はない。

冬の枯れ枝に残る虫食いの木の葉が、風に揺れている。その一葉を、手ブレを意識しながら10秒間ほど撮ってごらん。
G8は古い機種だが、5軸手ブレ補正の能力は極めて高い。可動式モニタで確認すると背景が美しくボケていて、最初は何の価値も見出せずにいたはずの木の葉が、語りかけてくるような効果を生んでいる。
モニタを見つめ、「オー」と目をむく表情がかわいらしい。実に素直なお嬢さんである。

こけむして転がっている、そこの石を撮ってごらん。
この石がこの場所にとどまってから、どれだけの年月が流れたか想像してみよう。
樹齢じゅれい数100年と言えば大変な歴史のように感じるが、石であればその数10倍、数100倍の気の遠くなるような年月をここで過ごしてきたのかも知れない。
石に”意思”があったとするなら、たかだか100年に満たない寿命の我々に何を伝えてくるか、そういうストーリーを頭に描くのも面白いんじゃないか?

レクチャーしていく中で気になるのは、こういう感覚が僕独自のものであることだ。撮影の基本でなく、自分だけの”もの”に対する(特殊な)捉え方を初心者に伝えてしまうのが、正しいかどうかはわからない。
でも、好奇心や想像力は豊かな方がよろしかろうと、ひとまず我流でやってみる。

滝に到着してからは、好きに撮ってもらった。水の流れは黙っていても絵になる。あとはそれを、どれだけ異なるアングルや距離感で映していくかだ。

戻ってきた彼女に、「楽しい?」と問いかける。ニコニコしながら頷いているから、まんざらでもないだろう。
じゃ、河岸かしを変えて古墳の方にいってみるか。

ちょっと丘を登れば、清水港とその市街地、駿河湾も遠くまで見渡せる。古墳時代中期初頭(5世紀前半)に築造されたものとみられる、前方後円墳ぜんぽうこうえんふんのある場所だ。
温暖な季節になったら、寝そべることも可能な芝に弁当など広げ、流れる雲を見ながらうたた寝するのに最適だろう。

お散歩のワンちゃんを撮ってみる。
相手は予測不能の動きをするし、カメラがその後を追い過ぎると、視聴するときカメラ酔いを起こしてしまう。
変化をつけたければ上から見下ろすだけでなく、犬の視点に合わせカメラを地面すれすれで構える構図も不可欠だ。ペットはとても難しい被写体なのだ。
それだけに、いい練習になった感じだ。けっこう撮りめた頃合いでもある。

さてそれでは、日の暮れる前に編集作業も一通り経験しますか。

イラスト hanami🛸AI魔術師の弟子

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