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家で還ろう

僕の父母は、共に自宅で亡くなっている。病院での逝去せいきょがまだまだ当たり前の日本において、これは珍しい事例かもしれない。

父親は33年前、58歳で、それこそ家族に看取みとられながら世を去った。
知り合いの大学病院で末期の肝臓がんが発見されたとき、腫瘍しゅようはこぶし大まで成長していた。手術をしても成功の確率は高くなく、むしろ残りのQOL(生活の質)が大幅に下がってしまう可能性の方が大である。父は、手術しない選択をした。

最後の数か月はくびに転移し、寝たきりの状態となって意識混濁のなか息を引き取ったが、「手術しなければ余命3か月」との医師の宣告に反し、1年半近くを元気なままに過ごした。
玄米を主食とした食事に改め、枇杷びわの葉きゅうなど民間療法のみで、定期的に診断は受けていたものの、あとは通常の暮らしを続ける。
動ける時間が長かったことで、自分なりに人生の清算を済ませられたのだから、悪くない最後だったと言えるだろう。

母親は85歳、千葉の自宅で朝食をっている最中にこと切れたようだ。
タイに住んでいる弟が、この時はたまたま帰省していた。
彼がすぐに発見し、運ばれた病院で死亡が確認された形にしてもらう。家で死亡の場合「不審死」あつかいになってしまうのを、避けるための配慮だ。

ご飯を盛った茶碗に海苔のりを載せ、箸で丸め口に入れようとした瞬間に倒れたようだから、最後まで生きる前提で過ごしていたことになる。
長男の僕は、仕事で静岡から東京に向かう東海道線の車中、一報を受けた。先方に事情を伝え、そのまま千葉へと向かう。それは母なりの、最後の”配慮”だったかもしれない。

日本は世界的にみても、病院で亡くなる人の割合が高い国である。
厚生労働省の資料によれば、病院での死亡率はスウェーデンとオランダが約4割、フランスが6割弱であるのに対して、日本では8割以上となっている。

厚生労働省の「人口動態調査」によると、戦後間もない1951年当時、自宅で亡くなる人の割合は約9割で、病院での死亡率は10%未満にとどまっていた。
それが高度成長期に入り、日本の生活水準・医療水準が向上するにつれ、自宅で亡くなる人の割合は急速に減少していく。
1960年代には6割、1970年代には5割を下回り、1999年には2割を下回ることになった。2000年代に入る頃、自宅での死亡率は10%台、病院が80%台にまでなっていく。

一方、厚生労働省の『平成29年度人生の最終段階における医療に関する意識調査』(全国に住む20歳以上の男女973人から回答)によると、「もしあなたが末期がんのような病状となった場合、どこで過ごしながら医療・療養を受けたいですか」との問いに対して、「自宅」と回答したのが全体の46.1%と最も多く、「医療機関」との回答は37.5%にとどまった。

5年前(平成24年度)の同調査で、「自宅」との回答は37.4%、「医療機関」の回答は47.3%である。
2017年までの5年間だけで、自宅での医療・療養を希望する人が8.7ポイント上昇し、医療機関の利用を望む人は9.8ポイントも低下している。
(いまの医療機関であれば)末期がん患者向けの緩和ケア病棟もあるが、住み慣れた自宅で療養生活を願う人が増えているのだ。

先の質問に医療・療養を受ける場所を「自宅」と回答した人に「どこで最期を迎えることを希望しますか」問えば、「自宅」と回答する人が全体の70.6%を占め、「医療機関」は10.8%にとどまった(介護施設0.6%、無回答18.0%)。

終末期の医療・療養を受ける場所、最期を迎える場所として「医療機関」または「介護施設」と回答した人に対して、「なぜ自宅以外を選択したのか」の回答割合をみると、最も多かったのが「介護してくれる家族等に負担がかかるから」という理由が全体の64.7%を占めている。

つまり、医療機関や介護施設の医療体制・介護体制に対する信頼感・安心感からではなく、「家族に迷惑をかけたくない」という思いから、自宅以外の場所を希望する人が多いというのが分かる。

本心は「自宅」なのに、家庭内の事情から仕方なく「医療機関」や「介護施設」を選ぶわけだ。
「本心としては自宅」と思っている人の割合を考慮すると、亡くなるまでの時間を自宅で過ごしたいと望む人の割合は、かなり高くなるはずである。

そしてそれは人として、当たり前の話のように思える。
先が見えているなら、病室という特殊な空間でなく、日常そのものが息づく我が家で天へと還りたい。自分が世を去ろうと変わらず続く日常の中に、自分のむくろをしばし留めていたい。
そのとき生と死は避けがたい断絶でなく、単なる移行となる。
ありふれた日常の一場面に、誰もその時が来れば”こちら”の世界から”あちら”の側へと、移っていくだけの変化でしかなくなる。

死を生の終わりとしてでなく、生の延長にあるのが死であるととらえれば、そこまでおそれ、むべきものでもなくなるかもしれない。

明日に続く

イラスト hanami🛸|ω・)و

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