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あうんの至福

ハイドンの弦楽四重奏曲第76番『五度』は、悲愴感漂う「ラーレー,ミーラー」という下降動機で始まる。この「ラ」と「レ」の音程が五度離れているため、「五度」というニックネームが付いている。

この最初の一音など、「阿吽あうんの呼吸」なくして成り立たない。
映像で確認すると、リーダーシップをとる第1ヴァイオリン奏者が弓を構え、降ろす瞬間に息を吸い込む音がはっきり聞こえる。
張り詰めた緊張の中、その最初の動機に合わせるチェロの女性は、獲物を捕らえる鋭い視線をリーダーに向けている。
第2ヴァイオリンは「はッ」と息を呑んだその時、下げていた視線をネックに添えられた左手の辺りに、瞬時に移動させている。
ヴィオラの視線は楽譜にあるが、やはりリーダーの気配を五感で感じながら、最初の一音を刻んでいるのが分かる。

弦楽四重奏と言えば、名だたる一流のプロから仲間内のアマチュア4人組まで、世界のいたるところで日々奏されている日常的な光景と勘違いしやすい。
あらためて、性別も生まれも考えも異なる4人がこれほどに息を合わせてしまえることの奇跡を、再認識してしまう。この演奏など、聴衆を相手にした一期一会いちごいちえの真剣勝負ゆえに生まれてくる、創造的な表現と呼ぶべきだろう。

真剣勝負といえば、黒澤明『椿三十郎』のクライマックス。
三船が仲代を倒す「逆抜き不意打ち斬り」など、撮り返しのつかないテンションが役者のみならず、カメラ・照明・小道具に至るまでみなぎり、空前絶後の完成度を見た。

三船敏郎は仲代達矢が抜刀するより早く、帯刀たいとうを左手で逆手に抜き、刀の峰に右手を添え、刀を押し出して仲代達矢の右腕下付近を切っている。三船はほんの瞬間早く抜くために、普通の刀より5寸(15cm)ほど短い刀を使用したという。
三船と仲代は本番当日まで一度も顔を合わせず、打ち合わせもしなかった。仲代はただ刀をタテに抜くやり方だけを、稽古させられていたそうだ。
すごい。まさに一世一代の真剣勝負である。

仲代の血の噴出は、ホースを胸のまわりにグルグル巻きつけて、外部からそのホースに血を流し込み、圧搾あっさく空気のボンベで噴出させている。
黒澤監督の注文によれば、「2人はしばらくみつめ合っている。三十郎が懐から手を下す。そしてここから25秒目ぐらいに同時に太刀を合わせる。仲代が倒れる」となっていた。

小道具は圧搾あっさくボンベを操作する。合図と同時にコックを開くのだが、緊張のあまり声ではタイミングが合わない恐れがあるので、三船の抜刀と共に助監督が尻を蹴飛ばし合図にした。

三船が斬る。とたんに噴き出す、大量の鮮血。
仲代は噴出する血の勢いで、体が宙に浮きそうになるのを必死で堪えていたという。血の噴出する力はもの凄く、若かったから頑張れたと仲代は回想している。

現代の特殊効果(SFX)や視覚効果(VFX)を用いれば、果たし合いの再現など容易に、よりリアルに表現できるかもしれない。
一方、この映像のなか永遠に封じ込められた人々の呼吸までは、再現することかなわないだろう。
人間の社会、何かが発達すれば、必ず何かが減衰する。「阿吽あうんの呼吸」が衰退する時、世の中はよりギスギスと、生き辛くなっていく気がしてならない。

西欧音楽が「楽譜」という目標設定を置いたのに対し、アメリカで生まれた黒人の音楽・ジャズの主題は、即興演奏にある。
曲もリズムもメロディも、一定の取り決めはあるものの、事前の打ち合わせ通り再現するだけではジャズにならない。
一発勝負といわれるジャズのアドリブは、自分だけで組み立てる展開よりも、グループとしての展開に面白さを感じる。「その先に何が起こるかわからない」スリリングさ、面白さである。

ジャズに馴染んでくると、前面に出ている奏者の裏で、他のメンバーが様々な手管てくだろうしているのが判ってくる。
たとえば、アドリブの旋律が上昇旋律であるのに呼応し、対位的に動いて、瞬間的に下降旋律を弾くといった具合だ。

そうなれば単なる上下関係でなく、うわべだけの仲良しクラブにもならない。
今日はアンタがリーダーだから合わせるけどオレってこんなこと考えてるんだぜみたいな、さりげない互いのテイストやエッセンスに気づくと、主役の演奏ばかり耳が行かず、脇役の個性により惹かれる場合も出てくる。
ときに主役が脇役の挑発に乗ったりでもすれば、演奏ががぜん熱を帯びて、聴き手にとってはたまらない展開となる。

そうなってくるとジャズの底なし沼にはまってしまうわけだが、ここにおける前提なしの自由な「阿吽あうんの呼吸」を知ってしまうと、人生楽しくて仕方ない。

「あ、うん」でも「オー、ヤー」でも、これでいいのだ。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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