今さらのカラヤン
先日、夜10時に帰宅すると、妻が愛知にいる娘とビデオ通話をしている。どちらもアルコールが入っているらしく、素面の僕は陽気に笑い声を上げるさまをしり目に、着替えを始めた。
自分でも気づかないうち、鼻歌を口ずさんでいたらしい。それが珍しかったか「鼻歌唄ってる~!」とネタにされ、あれっ、そうだったかと思う。無意識だから自分ではわからないが、わざわざ指摘されるということは、それだけ珍しかったんだろう。
実は帰るまでの車中、チャイコフスキー交響曲第5番を大音量で鳴らしていた。そのとき聴いていたメロディになる。
田舎の平日であれば、夜道に行き交う車もなく、制限速度の40キロで走っても煽られたりしないから、ゆったりした気分で音楽に浸れる。最近では秋の気配も漂い、買い物にこじつけ深夜営業のスーパーに寄り道したりもする。
同じ音楽なのに家で聴くのと違う味わいがあるのは、長距離走行が日常だった昔ながらの、慣わしによるのだろうか。
この曲の第2楽章では、厳かでやや陰鬱な弦の序奏に続き、夢幻的な美しいホルンの主題が奏でられる。第2主題がオーケストラで全体合奏される、クライマックスの高揚感と言ったらない。
どうやらその部分を、声に出していたらしい。
USBに入れていたのは、カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の1965年盤だ。カラヤンはこの曲を、スタジオ録音だけで5回も行っている。世評高い71年録音はもちろんのこと、もっとも脂の乗り切った50代のカラヤンの、勢いと凄みのある時代の録音が好ましい。
マイルス・デイヴィスと同時代にあって、カラヤンもまた楽壇の帝王と呼ばれていた人物だ。
ジャズがマニア向けのジャンルだったのに対し、いわゆるクラシック音楽は(実際の聴衆人口は別として)広く世間に認知された”高尚な”音楽だった。
同じ帝王でも、マイルスが道なき道を切り拓く革新者だったのに対し、カラヤンは通俗名曲を超一流のオーケストラで再現して見せる名演出家だった。
クラシック音楽に関心がなくても、カラヤンの顔と名前なら知っている日本人は少なくない。僕が10代のころ町のレコード屋に行けばもれなく、カラヤンのポスターが貼られていたものだ。
知名度抜群な分、毀誉褒貶も相半ばしていた。
伝記作家ロジャー・ヴォーンによるカラヤン評は、彼の特性を短い言葉の中で全て言い表している。
「人の注意を釘付けにするのは、音の美しさと完璧さである。最も柔らかいピアニッシモまでも聞き惚れてしまう。滑らかなクレッシェンドは、ピークに達するべきとき最高潮に達する。ブレイクはわずかなギザギザもなく、きれいに切り分けられている」
カラヤンを否定する人たちからすれば、ロジャー・ヴォーンが手放しで賞賛したその美点が全て裏返り、否定するための根拠となる。
「カラヤンのように表面ばかり美しく磨いた演奏はいわば素人向きの、名曲コンサートのための演奏に過ぎない」「底光りする薄気味の悪いレガート(音と音との間を切らないようになめらかに演奏すること)」「精神性のない音楽」等々、散々なものだった。
要は、聴き手の受け止め方ひとつで変わるコインの裏表なのだが、日本ではアンチの勢力も相当なものだった。
1970~80年代、1枚のレコードやCDは高価なものだったし、「レコード芸術」や「FMファン」などのレコード評者に権威があった時代だ。
僕も大いに影響されたし、カラヤン自身の「帝王」らしい立ち居振る舞いもアンチの気分に拍車をかけた。
芸能界のゴシップと違い、演奏家のパーソナリティになどまるで情報のない時代。
日本ではフルトヴェングラーやクレンペラーは音楽一筋、聖人君主であるかのごとく祭り上げられていたし、トスカニーニの癇癪もちも、ファシストと戦う闘志の表れといいように解釈されもした。
今となってはフルベンの隠し子39人説は有名だし、クレンペラーに至っては他人(ユタ交響楽団の音楽監督モーリス・アブラヴァネル)の妻とアメリカを放浪し、宿代未払いで逮捕されるという武勇伝(?)まで残している。
トスカニーニがアメリカに亡命したのも、思想というよりは自分に指図する上の存在(ファシズムやナチズム)に我慢ならなかったからだけではないか。自分の権威を貶める奴らは許さないという、誰より独裁志向のジジイじゃなかったかろうか。
それはそれで個人的には、ますます好きになってしまうエピソードや妄想ではある。「異常」や「キチガイ」「独裁者」などは、表現者にとって最上級の誉め言葉だと思うぞ。
そこにいくとカラヤンのエピソードは、事業で成功した者のソレである。
10代の頃からスキーや水泳に熱中し、ヨガを毎日行っていた。レーシングヨットでは数々のレガッタ(競漕会)で優勝している。
リアジェットを操縦し、セーリングと自動車の大ファンで、特にポルシェが好きで背面に自分の名前が入った特別仕様のポルシェ911ターボ(タイプ930)に乗っていた。
自己演出に長けていて、カメラマンに撮影する位置を指定し、一定のアングルからしか自分の写真を撮ることを許可しなかった。
自分の威厳と神秘性を保つためである。身長が低いコンプレックスがあったためかもしれない。
許可なく写真を掲載したカメラマンは、カラヤンの指示によって出入り禁止となった。
イッちゃってる歴代の名指揮者に比して、なんともつまらない逸話である。
クラシック音楽という”神聖な領域”(幻想)を、商業主義で汚したというのがアンチ・カラヤン派の言い分であった。それもまた、コインの裏表に過ぎないのだが。
(次回に続く)
イラスト Atelier hanami@はなのす
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