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人生いろいろ

(前回の続き)
4代目所長U氏にも触れようと思ったが、さすがに冗長じょうちょうすぎるので割愛する。
このU氏、新しく経営者となった旅館の社長に取り込み、僕のいた会社の従業員ごと横取りしようと画策かくさくした御仁で、相当なタマであったのは間違いない。まさに政治そのものの世界で、この旅館ではとても鍛えられた。

U氏が会社を辞め旅館の社員になるという段階で、新しい所長を決めなければならなくなる。
ひと月前から近くのホテルに住み込み、洗い場の仕事をしている関西の男性を紹介された。ここで彼のことは、個人的愛称だったノリさんとしておく。

面談をし、旅館の現状をありのままに伝える。前任の所長が顧客のトップとつるみ、その当時の所属で60数名の従業員を引っ張ろうとしている。その一部にU氏一派がおり、内部からも同調の動きが出ている。
並みの精神力では太刀打ちできないと思われるが、その前提で所長をやってみる気はないか。

「ワシ、やりますわ」この関西人は、力強く答えた。

ノリさんを旅館の社長に紹介する。
「ここに来る前は、何やってたんだ」
「大阪でパチンコ屋の店長です。店がつぶれてもうて、昔のカミさん(3人いる😅)とこ回ってそろそろ関西引き上げるかってとき、ご縁あって洗い場の仕事紹介してもらいました。今後、どうかよろしゅうに」
「 …俺なら所長にはしないな」社長の反応は常識的だったと、僕も思う。

それから連日、ノリさんに対する様々な嫌がらせが始まった。
筋違いのクレームや従業員の意図的なサボタージュなど、いちいち先方から呼び出されては激しく叱責される。
「さすがに体重、減りましたわ」と苦笑しながら手書きのメモを僕に見せ、「いつか順番に(職場から)消したる!ゆうヤツの名前、ここに書いてますねん。この名前一つ一つ、線入れていくんがワシの目標ですぅ」
30年前からデスノートつけてた人、おったんや。

ノリさんの人心掌握術じんしんしょうあくじゅつは、大したものだった。
旅館側の従業員に対しては昔取った杵柄きねずか、パチンコ指南によって敵を味方に次々と反転させていく。みんなパチンコ、大好きだったのだ。

師匠から出る台を教えてもらう弟子たちは、次々と裏情報をノリさんに提供するようになる。事前に知って、先方の画策かくさくをつぶしてしまう。
U氏とは、役者が違ったようだ。U氏の方がだんだん、旅館の中で居場所をなくしていくのが手に取るように分かった。

従業員に対し、最初に行った改革は送迎バスの席次だ。
かつては小田原駅から出る27人乗りの中型車に、古参のパートさんの場合は自分の座る場所はココと、座席が決まっていたのだ。
これは新人さんにとって、タイムカードを押す出勤前から強い階級制を意識させずに置かない。新米しんまいなんだから私たちの言う事聞きなさいよという、無言の圧力になるのだ。

ノリさんは運転手に対し、乗って来た順に前から座らせるよう指示した。
それでもいうことを聞かないU氏一派のパートさんを個別に呼び出し、大阪弁で理にかなった説教をこんこんと行う。「あんたら古いもんが、せっかく入ってきてくれた新人さん大事にしないで、どないすんねん」

態度に示せず口でも勝てないとなれば、彼女らの居場所はなくなっていく。「消したるノート」の連中は、自ら身を引くようになっていった。現金なものでこの頃になると旅館の社長も、「Oく~ん」とノリさんを何かと頼みにし始める。クーデターを企てたU氏は、いつのまにか旅館から姿を消していた。

ノリさんになって初めて、この旅館の日常業務に平穏へいおんな日々が訪れた。無風というわけじゃ決してないが、再び経営者が替わり、建物自体がリニューアルされるまでの長い月日を、彼がよくまとめてくれた。

その当時、夏休みや冬休みになると学生アルバイトが集まったものだが、東京6大学中5大学の学生がこの旅館で働いていた。
彼らがこの職場を選ぶのはノリさんという存在あったればこそで、受験一筋で成長した彼らにとって、所長のキャラクターは新鮮そのものだったに違いない。
事務所に行けば学生たちと談笑するノリさんの姿を、何度も目にした。

僕にとってご恩を感じる人は少なくなくても、人生の師匠と思える人になると片手に余る。ノリさんは、そんな中の一人だ。
「ワシ、死ぬまで働きますわ」と言った同じ口から、「そやけど動けなくなったら、沖縄の娘んとこ行こう思ってます」とおっしゃっていた。

もう70半ばのはずの我が師匠、今はどうされておられる事か。
それにしても関西・東北・沖縄に元嫁さんを配置し、自分の子供や孫とも交流を続けていたノリさんのしたたかさには舌を巻く。
「ワシ、大阪帰ったら道頓堀に浮かんでますわ」はあながち冗談とも受け取れず、存在の大きさとミステリアスな要素がないまぜとなって、今も強烈な印象を残す人だ。

というわけで、所長編に関してはこの辺でお開きにしたい。
従業員編になればこれがまたすごく、元ナベプロ・マネジャーの芸能裏話とか、「私のこと、リカちゃんと呼んで」のコスプレ男とか、高貴な名字の「でばかめ」オジサンとか、時代を先どるタレントの列挙にいとまない。
すでに30年前、「電波が頭に届くんです」とおっしゃっていたTさん、好きだったなぁ。
しかしこれもまた、別の機会に。

人生いろいろなのである。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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