あり得る話

第263回 新しい意見(武田砂鉄のそもそもそれって) より一部引用
2023/02/15 日経MJ(流通新聞)
 新しい意見を出すのは勇気がいる。その勇気が物事を変えてきたはずだが、新しい意見は、同時に、数多く無視されてきたのだ。
 数多くの、実らなかった新しい意見のことをよく思う。抽象的だけど、そういう意見が捨てられているゴミ箱があったら、そこにはいろんな思いが積み上がっているはずで、抱き締めたくなるはずだ。

新しい意見は熟成させるのがミソなので、発酵していれば積み上っているかもしれませんが、腐敗している場合は抱き締めるのはちょっときついかもしれません。

最近”新しい発見”という言葉にひっかかることがあって、

発見とは、まだ知られていなかった(あるいは自分が知らなかった)物や現象、あるいは説明のしかた(理論・法則)を見つけ出すこと。

Wikipedia

発見とは新しいことを見つけ出すことだから、”新しい”をわざわざ付ける必要はなく、”新しい再発見”も同様です。
そんな細かいことをいちいち気にしていても仕様がないと思うのですが・・・

その他に”あり得る”の読み方もひっかかることがあって、それについては作家逢坂剛さんが以前に新聞で指摘されていて、私も同感です。

ありえるは、ありえない――作家逢坂剛(あすへの話題) より一部引用
2022/02/17 日本経済新聞 夕刊
 むしろ近ごろ気になるのは、〈得る〉という言葉の読みだ。これは文語では〈え・え・う・うる・うれ・えよ〉と、下二段に活用する。しかし、今では下一段に変わって、〈え・え・える・える・えれ・えよ〉となる。これを、補助動詞的に遣って〈あり得る〉としたとき、〈ありえる〉と発音されることが多い。わたしの場合、〈ありえない〉はいいが〈ありえる〉は、許容できない。〈あり得る〉はあくまで、〈ありうる〉なのである。なぜかと聞かれても困る。これはもう、理屈ではなく語感の問題としか、いいようがない。

理屈ではなく語感という潜在意識の問題であり、
まずは洗剤「アリエール」を「アリウール」に改名して洗剤意識を変えてほしいと思っていますが、ウール製品には使えないみたいなのであり得ないかも。

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