ムラブリ、独自世界観もつ言語の研究――伊藤雄馬著(読書)
2023/04/15 日本経済新聞 朝刊
タイやラオスの山岳地帯に住む少数民族ムラブリ。本書は絶滅に瀕(ひん)したムラブリ語を15年にわたって研究する著者自身の悲喜こもごもの人生譚(たん)であり、ムラブリがいかなる独自の世界観をもつ人びとかを開示した学術書でもある。
「Up is Good」「Down is Bad」を普遍的な特徴とみる認知言語学の説とは違い、「心が上がる」が「悲しい」や「怒り」、「心が下がる」が「うれしい」や「楽しい」の意味になるムラブリ語。興奮に相当する言葉がなく、ささやかな主張をするにも「私は怒っているわけではない」と繰り返す人びと。そこから他民族との接触を避けて森のなかでひっそり暮らす中で生まれた感情規則や他人に認めてもらうのとは異なる幸福のありようが浮かび上がる。
著者は言う。蛾(が)が光に集まるといった生物の生得的な習性のひとつ「走性」のように、自分は「正の走“ムラブリ”性」に導かれ、ムラブリの身体性を獲得してしまった。