備忘録「忘れる読書」落合陽一

16 「持続可能な教養」とは、まずは物事を「抽象化する思考」を鍛えること、そして次に「気づく」能力を磨くことではないかと私は考えています。抽象化というと少し難しく感じるかもしれませんが、要するに「物事の本質を定義する」ということです。

34 冒頭で、教養とは「抽象度の高いことを考える力」と「知識と知識をつなぎ合わせる力」であり、それらを磨くには読書が最適だと書きました。これはアーティストが日々使っている「自分でストーリーを練り上げる力」とほぼ同義だと私は考えています。自分のストーリーを練り上げるとは、つまり抽象化しながら思考し、点在する知を自分の文脈でつないで物語化するということです。これはアーティストなら当たり前のように訓練していることです。

→アーティストではないが、これが目標

38 そういう時の読書は、究極の「拾い読み」。音楽で、旋律線を独自のフレーズに区切って独特のニュアンスを生む「フレージング」という手法があります。フレーズに抑揚をつけるラップ・ミュージックなどでよく使われるものです。ニーチェの本を読み返す時はフレージングで読むのですが、拾い読みで「世界はいままさに完全になったのではないか」というフレーズを見つけると、「ああ、昔ひたすら頭の中でなぞったな」と思いながら、頭の中でフレージングして再生します。

→ 音楽にすることで、記憶&再生しやすくなる

40 人生のある時期に、「あいつ大丈夫か?」と周りに心配されるぐらい読書に没頭し、思考を深める時間を持っておくと、拾い読みするだけでフレーズとともにその時の「熱」までも頭の中に再現できます。実は本は、読み手側の「熱の出し入れ」を自在にするメディアといえるでしょう。

→ プルーストの無意志的記憶

58 『枕草子」はズラす視点が得られるザッピング集
毎回テーマごとに打ち出したい世界観はありますが、追い込みの段階になると「何か足りない要素があるな」と直感的に感じることがあります。そんな時は、意識的に「ちょっとズラした」発想を混ぜ込み、あとは積極的に忘れるということを繰り返します。

→ 意識的にちょっとズラすことに感心。熟成させるのがミソ。

110 読書の効用の一つには、著者が巧みに言語化をしてくれるおかげで、自分が持つ概念との違いを確かめられるということも挙げられます。

→著者の形式知と自分の形式知との差異

117 古い本を読むという行為は、時代を超えた価値を確かめながら先人と行う「哲学のリレー」であり、ニューロンの発火をもたらす創発という珠玉の時間でもあります。

→哲学のリレーという反復。本を読む高揚感とニューロンの発火というアハ体験(陶酔)

156 角川ソフィア文庫版の『日本的霊性』
 角川ソフイア文庫の完全版には、共に収録されています。「第二刷に序す」は、どこを読んでも鈴木大拙の怒り、怒り、怒りという感じです。当時の世相について、軍部の暴走と敗戦の空気が描写され、大衆扇動への怒りがぶちまけられています。

→第二次大戦中には、多くの宗教団体がスポンサーとなって戦闘機を献納

161 さらには、時間は直線として捉えてはならず、「円」にしなくてはいけないとも語っています。物事すべてが過去・現在・未来と、直線的時間の上に連続していくものと考えると、その考えはいつか行き詰まるとも述べています。往き来自由な「円環」の中で生きる生命という捉え方は、柔らかく、きわめてフリーダムだといえるでしょう。

→らせん的に考えることによる、直線的な時間と円環的な時間の統合

176 「デジタルネイチャー」という概念で表現しているのは、「人工⇔自然」という対比ではありません。「自然」と言っているのは、世間一般で言う「自然」ではなく、「繰り返されることで生まれた性質」を意味しています。

→反復と差異による進化

180 私は、こういった「噛み応えのある」本を読む時に、著者の言葉を自分の感性に合った言葉に置き換えるという作業をよく行います。自分のフェティシズムを感じる言葉を嗅ぎ取って、「自分用語」に置き換えるのです。

→長嶋元巨人軍監督

192 村上春樹を読むと言葉が出やすくなる
このパターンでいくらでも言葉が続きます。おしゃれな感じは出しつつ、特に意味をなさないような会話の羅列を楽しむのです。
こんな風に、「村上春樹的リズム感」を楽しめるのが村上本の醍醐味かもしれません。この「リズム感」は大事で、読書家とそうでない人の違いは、リズム感だろうと思います。

→リズム(反復)が高揚感を生む

197 ちなみに、「とても自然なことだし」「一度馴れてしまえばとても簡単なことなの」といったように、同じ内容を二回言うというのは、とても村上春樹的だと感じます。

→反復とリズム

210 実は、理系に進んだちょっとしたきっかけは、自身の名前にあります。小学校3年生ぐらいの時、学校の授業で自分の名前の意味を調べたことがあり、「陽」と「一」と漢字を分けて書いてみたら、「もしかして、プラスとマイナス? 理科的なシャレ?」と気づいてしまったのです。実際親に聞いたら、その通りだと知って驚きました。

→そうとも読み取れるが、おそらくメインの理由ではない


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