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気に入ったゲームの世界にどうにかして住めないかという妄想をよくします

 これはアイス食べながらの短い書き散らかしです

 私は気に入ったゲームに対して、よく「この世界に住みたい!」と思う事があります。
 もう良い歳なのに中学2年生の妄想みたいでちょっと恥ずかしいのですが、それだけゲームに夢中になれた、没入感が凄いゲームに出会えた、という幸せな事なんだと思います。

 特に昔から大好きなどうぶつの森シリーズに関しては、任天堂の絶妙な塩梅で現実に隣接する手の届きそうで絶対に届かない箱庭ユートピア感で、疲れている時は「何故この世界に住めないんだろう……」と本気で凹んだ事もある位住みたくて住みたくてたまらないです。何故住めないんだろう。

 ですが、ここ数年間で私が気に入ったゲームは戦争をしていたり律が狂っていたり狂気に支配されていたり何もかもが吹っ飛んでいたりと、とても物騒なゲームばかりです。なのでどうしても「住んでいる妄想」ではなく「どうにかして住む方法を妄想」になりがちです。
 多分そういった世界観のゲームは「好きだけど絶対に住みたく無い世界」の部類にあたるのかもしれませんが、私は気に入ったゲームならどんな物騒な世界でも平等に住みたいと思います。
 それが狭間の地であっても、ヤーナムであっても。
 
 中でもFallout4は建物をたくさん建てられるし、街おこしも別荘作りも出来るので何時間も何時間もひたすら建物を建てて遊んでました。
 元々プチ廃墟好きで廃墟写真の展示イベントに行ったり写真集を買ったりする位には興味があるので、廃墟みたいな場所に住むと言う夢も叶えてくれました。
 どうぶつの森に抱く届かぬユートピアへの想いは、ディストピアで満たしていたと言っても過言ではありません。


 何故こんな事を突然書き散らかしているのかと言うと、世界観が素晴らしいゲームって、住みたい・住みたく無いをプレイヤーに想像させるゲームなんじゃないかなと思ったからです。

 この世界に行きたい!とか住みたい!という明るい想像だけじゃなくて、絶対あの世界嫌だwwwとか生き延びれる自信ないわwwwとか、とにかく「もし自分が住んだらどうなるのか」という想像を自然にした時点で、それはその世界の空気を身近に感じて想像出来る位入り込んでいるんじゃないかと。
 わざわざ自然にと挟んだのは、私個人の趣向としてめちゃくちゃ作中で語ってくる作品よりかは「なんか知らないうちにこの世界のこと詳しくなってたわ」という体験が好きだからです。
 これはあくまで個人の趣向で、すごいテキスト量でぶん殴ってくるゲームも勿論アリだと思います。

 つまり、結論を申し上げますと。

 スカイリムに移住したい(東京気温36°C)

 じゃあな


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