長く辛い日は続かない

こんばんは。札幌の公認会計士のまこです。

私は学生時代本当に貧乏で、友達と学食に行ってもひとりだけ水を頼み、友達が残したラーメンの残り汁をもらって喜んでいるくらいお金がありませんでした。

なぜなら、遊びすぎたせいで学業も不振。留年をくらい、親からの仕送りが打ち切りとなったからです。

そんな中で私の選択肢は日雇いの仕事を掛け持ちすることでした。
今になって経験職種を数えてみたところ40個弱になってました。

しかし、その経験があって私は公認会計士を目指すことになったのです。

私に公認会計士を目指すきっかけを与えてくれた仕事、それは「パン工場」のバイトでした。

私は、朝の9時から夕方17時までショートケーキの製造ラインに入って、ひたすら流れてくるイチゴの乗っていないショートケーキにイチゴを乗せ続けるという仕事をしていました。

単調すぎて気が狂いそうな仕事。途中で襲ってくる尿意。なぜだかわからないけどいつもローキックを繰り出してくる係長。その係長のせいで不機嫌なパートのおばちゃんたちの八つ当たり。

あらゆる困難がショートケーキとともに流れて襲いかかってきますが、製造ラインは決して止まることはありません。というか、私のせいで止めるわけにはいかないのです。

あるとき私は、意を決して係長に言いました。

「もうこの仕事無理です・・・」

そうしたら、係長は意外にも「よし、わかった」と言って私を別のラインに連れていってくれたのです。

その先に待ち構えていたのは、梅干しの乗っていない丸の内弁当にひたすら梅干しを乗せ続けるという仕事でした。

「そういうことじゃないんだけどなあ・・・」

私は再び、ギブアップを伝えました。

そうしたら係長は『よし、わかった。「乗せる」のがムリなんだな』と言って、私をフレンチトースト用のパンを溶けたバターに「浸す」仕事を与えてくれました。。。

一日8時間の仕事でしたが、毎日私には永遠に続くのではないかと思えるぐらい、それはもう長い長い時間でした。

そして、私はあるとき、一つの気づきを得るのです。

ひょっとして自分の人生はこのままだと製造ラインの一部となって何かに何かを乗せ続けるるだけで終ってしまうのではないかと・・・

そして私は思い立ちました。勉強して偉くなって、製造ラインから卒業するのだと。

もちろん製造ラインの仕事も尊い仕事ですが、私には無理だと思いました。

それから私は日雇いの仕事で貯めたなけなしのお金を払い、簿記学校で簿記の勉強を始めたのです。

なぜなら、大学を留年し、バイト漬けになっている自分がここから逆転するには資格をとるしかないと思ったからです。

もちろん、その時点では「公認会計士」なる資格があることは知りませんでした。

簿記の勉強を始めてみると、意外に私には向いていたみたいでサクサクと難しい級をとっていくことができました。

そこで私はある勘違いをしてしまいます。

自分には簿記系の最高峰の資格である「公認会計士」に簡単になれるのではないかと・・・

実際に公認会計士の勉強を始めると待ち構えていたのは、ひたすら単調な受験勉強の連続でした。

1日10時間ぐらいは勉強したでしょう。その間も生活のためバイト漬けの生活からは抜け出せません。

ひたすら単調な受験勉強とひたすら単調なバイトの数々、そして続くラーメンの残り汁さえ飲めない空腹の日々。

結局そんな生活が3年ぐらい続いたのですが、当時の私にはこのまま永遠に続くのではないかと思えるぐらい、それはもう長く苦しく終わりの見えない時間でした。

しかし、そんな単調な日々でも、ひとつだけ以前と違ったことは「未来に向けての希望」があったということです。

私は幸運にも公認会計士となることで「未来への希望」を現実のものと変えることができました。今ではちゃんと麺はおろかチャーシューを乗せて食べることができます。

私は仕事柄、業績不振から脱することができた経営者の方に会うことがあります。

その方々の多くが業績不振期はこのままずっと続くのではないかと思ったと口にされます。

しかし、悪いこと、苦しいことがいつまでも続くということは、そこに「努力」と「未来への希望」がある限り、決して無いと断言できます。

実際に私が身をもって経験しました。

ひょっとしたら、今この瞬間を辛くて耐えられないと思っていらっしゃる方もおられるかもしれません。

そんな方には、ぜひこの私のエピソードを思い出していただければ幸いです。


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