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大好きなおじいちゃん

これから初めてnoteで記事を書く。
少し緊張する。。。
何の記事にしよう迷っていた所、
#おじいちゃんおばあちゃんへ
のハッシュタグを見つけて書くことに決めた。
私の思い出について、、、

わたしは少し複雑な家庭で育った。
わたしが2歳の頃両親が離婚して、お父さん側の
祖父母の家で暮らす事になった。
わたしは四姉妹の三女。
お父さんは仕事でほとんど家にいなかった。
なので、2歳からずっと
おじぃちゃんおばあちゃんが親代わりに育ててくれた。
四姉妹みんな。

小さい頃はお母さんが居なくて、寂しくて
泣いたりもした。1番上の姉と9個離れていた
ので姉が妹の面倒もみてくれた。

食べたいもの、欲しいもの、やりたいこと、学費
車、全部おじいちゃんおばあちゃんがしてくれた。
いっぱいの愛情で育ててくれた。

特に私わ、すごっくおじいちゃんっ子だった。
寝る時も、確か中2くらいまでおじいちゃんの隣で
手を繋いで寝ていた。

おじいちゃんは普段は無口であまり喋らなかった。
仕事熱心で、菊畑をしていた。朝5時にはおばあちゃん
も一緒に菊畑に行って、夕方6時くらい帰ってくる。
夜になると黒の残波っていうお酒を🍶のんで
上機嫌になると指相撲をしようと言ってくる。
おじいちゃんの指相撲はすごく力強くて
痛くて、勝つことわ出来ないけど嬉しそうに
顔真っ赤にして、笑うおじいちゃんが大好きだった。

おばあちゃんはお金には厳しい人だった。お小遣いも
特に無かった。欲しい時に、何に使うか言って
もらう方式だった。お金の管理も全部おばあちゃんが
していた。
おじいちゃんは、こそっり私の部屋に来て、
「お金これ、はい、、好きなの買え、いいよもらえっ」
って言っておばあちゃんが居ない時によくお小遣いをくれた。
おじいちゃんの誕生日は12月25日。クリスマス
だった。いとこもみんな集まって毎年お祝いした。
おじいちゃんは嬉しそうだった。
ずっと、ずっと元気でいてくれると思ってた。

専門学校を卒業後して仕事に就く時に、おじいちゃんが
新車を買ってくれた。
頭金の100万を出してくれた。
おばあちゃんは「あんたは本当におじいちゃん
に感謝しなさいよ!」「お金1番かかってるんだよ」
ってわたしの顔見るたびに言っていた。
おじいちゃんは「いいよ、いいよ、出すよお金、孫の車
はみーんなおじいちゃんが買ってるんだから!いつか
ドライブ連れてってくれよ」ってにっこり
笑って言ってくれた。

仕事に就いたばっかりだった私は、本当に自分のことに
いっぱいいっぱいだった。
休みの日は友達や彼氏と遊びに行き、夜遅くまで
帰らない日もあった。
次第におじいちゃんやおばあちゃんとも口を聞かなく
なった。
何を言われるのもむかついて反抗的な態度をとった。

学生時代から大人になるまで反抗期という反抗期が
無かった私に、おばあちゃんも心配して、上の
お姉ちゃんに相談とかしていたらしい。
あの頃は多分、、仕事に就いて、初めて壁にぶつかり
ストレスが溜まっていたんだと思う。

上のお姉ちゃん達は県外の専門学校へ進学したり
1つ下の妹は高校卒業して、県外へすぐ就職したので
実家にいるのは私だけだった。
そんな私も彼氏と同棲する事になり実家を出た。
2歳から24歳まで住んだ家。
おじいちゃんとの思い出がたくさんの家。

それから月日は流れ、、、
いつかの休みの日に、おじいちゃんおばあちゃんと
3人でおじいちゃんが買ってくれた新車でドライブ
に行った。
わたしがお気に入りの静かな海に行った。
カメラをセットして3人で写真も撮った。
おじいちゃんは嬉しそうに笑っていた。
久々に見たなぁー。こんなおじいちゃんの満面の笑み。
嬉しかった。
今でも忘れない。
 
何年かしておじいちゃんは認知症になった。

本当にあっという間に進行して、起き上がる事も
トイレも自分でする事ができなくなっていた。
信じられなかった。いや信じたくなかった。
今思えば、現実に目を背けたかっただけだと思う。

元気で優しくて孫思いのあのおじいちゃんが、、。
変わり果てた姿だった。
それからおじいちゃんは入院施設に入ったがそこで
風邪をこじらせ肺炎になり大きい病院に入院した。

仕事おわり20時くらいに一人でよくお見舞い
に行った。
お見舞いに行ってもおじいちゃんは管で鼻を
繋がれていて、不穏状態になっていた。手を繋いで
「おじー、きたよー!手握って」
と言ったらピクって反応して手だけ少し動いた。 
口から何も食べれないから、点滴だけしていて
足も骨しかないくらい細くなっていた。

何度も泣いた。悔しくて泣いた。

おじいちゃんの姿を見るたび胸が苦しくなって
もっと元気な時にいろんな所に連れ行ってあげれば
良かった。もっと色んなご飯をご馳走して
あげれば良かったと、後悔した。
あんな元気なおじいちゃんが認知症になるはず無いって
ずっと元気でいるって思っていた私を悔やんだ。

それからしばらくして
おじいちゃんはゆっくり息を引き取った。

今でも昨日の様に感じる事ができる。

おじいちゃんとおばあちゃんを新車に乗せて
3人でいった海。
車の中でおばあちゃんは
「あ〜もう本当に嬉しっ、ありがとうねぇ、連れてきてくれて、ね、おじ〜嬉しいねぇ!幸せだね〜」
おじいちゃんはにっこり笑って頷いていた。

今でも目に焼き付いているキラキラ光る波。
気持ちの良い風。どこまでも続く空。
おじいちゃんの笑顔。おばあちゃんの笑顔。
2人で笑いながら昔話をしている光景。

おじいちゃん大人になるまで育ててくれて
ありがとう。大人になる事ができたのは、何不自由
なく与えてくれて、いっぱいの愛で育ててくれた
おじいちゃんのお陰です。感謝しています。
天国でゆっくり休んでね。ずっとずっと
大好きだよ。 
                

#おじいちゃんおばあちゃんへ

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