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あした死ぬかもよ?

こんばんは。

久しぶりの投稿です。
家庭内で様々な課題が山積みになってしまい
投稿することも、投稿を見ることも遠ざけていました

落ち着いて気持ちを向けることができず
ただただ、日々を必死に乗り切ることだけに専念する毎日でした

楽しみよりも、自分の時間よりも
家族の課題、子どもの安定

親だから家族だから当然かもしれませんが
必死になるばかりで
家族の笑顔がどんどん消えて、みんな疲弊していました

家族で話し合い、これまで以上に子どもとの時間を取り
子どもの話を聞き、子どもに触れあい
これまでやってきた育児のやり直しをしている感じでした

現在も、まだまだ安定はしていませんが・・・
子ども自身が「どうしたいか」「どうしていこうか」を考える
気持ちの余裕を、すこーし持てるようになったようです

気持ちを崩しても
切り替えまでの時間がだいぶ短くなり
(切り替えられるまでの間に放出するエネルギーは半端なく、私たちへの
ダメージも大きいのですが・・・(-_-;)・・・)
家族の気持ちも少し軽くなったようです


audibleで
「あした死ぬかもよ?」ひすいこたろう著 を聞きました

なんと斬新なタイトルだろうと気になり聞き出しました

私たちは生まれてきた時から死ぬことが決まっている
そしてその「死」はいつ訪れるかわからない
あした死ぬかもよ?

私たちはニュースなどで「誰かの死」を知ることがありますが
いつも「誰かの死」で「自分が死ぬ」とは思っていない
そうかもしれない・・・

私たちは生まれてくるときに
頭蓋骨をつぶしてまで大変な思いをして生まれてきた
その苦しさから比べたら
今悩んでいることは、そんなに大変なことだろうか
生まれてきたこと自体が「奇跡」

今抱えている悩みは、たとえ人生の最後の日であっても深刻だろうか?
もし今日が最後の日だとしたら、
今日やろうとしていたことをするだろうか?
「いつか死ぬ」ことを考えたら、今の悩みはちっぽけでは?
死んでまで悩むことかな?


この本を聞き
目からうろこが落ちた気がした

何を悩んでいたんだろう
確かに現状はつらく、きつく、泣きたい日が続いていた
(実際に泣いていた)

でも、あした死ぬかもよ?
と考えたら
子どもの課題を解決しようと思うだろうか・・・
それよりも、子どもと正面から関わろうとしないだろうか
少しでもいい思い出を作ろうとしないだろうか?
悩みながら死んだら、後悔しないだろうか?

あした死ぬかもしれない・・・
あしたの朝、目が覚めるとは限らない・・・

そう考えたら
私の一日一日がとても大切に思えた
家族の一日一日が大切に思えた

そして私の言動が家族の、関わるすべての人へ
どんな影響を与えるか・・・ドキッとした

つらく当たったこともある
きつい視線を送ったこともある
冷たく背中を向けたこともある

そのまま死んでいたら・・・


私の人生が最後には「いい人生だった」と思えるのは
自分の人生の歩み方、一日一日、一時一時の生き方
自分自身で作りあげるもの
そして、それが周りの人にも影響すること
私自身も、周りの人に影響されること

いつ死んでも後悔しない生き方をしよう

それは「これをしない」「これをしてはいけない」という
引き算の考え方ばかりではなく
「やりたいことをやってみよう」「できるか挑戦してみよう」
足し算の生き方も・・・
死ぬときになって「もっと冒険をしておけばよかった」と思うのではなく
「こんな冒険ができてよかった」と子どもや孫に話せたらいいな


人生は平らな道のりではない
でも、その道のりをどう楽しむかは自分次第

「あした死ぬかもよ?」を胸に
前向きに生きようと思う

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