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あした死ぬなら・・・こんな時間がいい

次男と夫とカウンセリングに行った

次男と夫婦は別室でカウンセリング
次男は心理士とゲームなどを通して関係性を築きながら
気持ちを話せるようにしてくれている
比較的抵抗なく過ごせている様子

私たち夫婦は
前回のカウンセリングからの変化などを確認した後
次男の困りごとなどを話す

これが、今までの進め方だった
ただ、今回は改めて私自身を客観的に見る機会になった

先日投稿した
「あした死ぬかもよ?」をaudibleで聴き
考え方を改めた後のカウンセリングであったことも影響している

次男の行動を冷静に考えられた
自分の行動を冷静に振り返ることができた

そこで気がついたこと

私と次男は思考の癖が似ていた
だからぶつかるし
だから気持ちがよくわかる

違うところは
次男は一人行動が苦手
見通しを持った行動が苦手なので不安感が強い

私は一人行動が好き
誰にも干渉されずに過ごす時間が好き

それ以外は
とても良く似ていた

自分の失敗が相手に影響することへの恐怖心
相手を傷つけてしまったかもしれないという後悔
何事も自己嫌悪
「まあいいか」が苦手で
自分をとにかく責める・・・・

私はいい大人だし
自分で切り替える方法を身に着けてきた
それでも苦しい時が度々ある

次男はまだ
たった10年程度しか生きていない
その小さな体で
小さな頭で
小さな心で
常に自分の行動に不安を感じ
周囲の人たちの表情や言動、態度に敏感になり
それを自分のせいだと責めていた
幼い次男は自己嫌悪につぶされそうになっていた

何かあれば
母親の私のせいにして暴れ、暴言を吐く
そのたび
私は傷つき「母親失格」と言われたような気がしていた

でも
このすべてが
次男のSOSだった

夫にも
「二人の考え方は似ているよ」と言われた

だからいつも
私に優しくしてくれていた夫

次男には間違いを正さなければならないと
少し強く話をする場面があったが

大人の私には
痛い物をやさしく扱うようにしていた

私の姿に次男を重ねていたようだ


次男は私の息子だ
間違いなく私の息子だ

私の思考の癖まで似てしまった

じゃあこれからどうしよう・・・
「あした死ぬかもよ?」で気づいたこと

その抱えている悩みは
今死ぬとという時でも悩み続ける必要があるか?

違う
「あした死ぬ」かもしれない

だったら
私も次男も
自分を責める思考をやめて
楽しいほうを楽なほうを向いてもいいんじゃないかな?



カウンセリングから帰宅し
夕食を作っている間、次男はカウンセリングの緊張が解け
疲れも出たのか・・・イライラ・・・カリカリ

でも
私は放っておいた
反応せず放っておいた
「きっとお腹がすいているんだ」と
ラムネとブドウ糖のタブレットをそっとそばに置いた
「何?!」と
イラついたように、それらを床に投げつけた次男
でも「食べ物だ」と気づいたのか
ぶつくさいいながら口に入れた

しばらくして
その場から離れていった
暴れなかったな・・・

夕食の声をかけた時も
イライラ・・・カリカリ・・・・
食器はガチャガチャと乱暴に扱っている
でも
放っておいた

お腹いっぱい食べて
ゲーム機を手に持ちながら
「かあちゃん、これ教えるから一緒にやろう」と

私がゲーム嫌いなのを知りながらの誘い・・・
私の顔色を見ているのがよくわかる・・・不安なんだね
「じゃあ、片付けが終わったら教えて」とゲームをしていみた

やっぱり難しい
理解できない・・・次男の説明が日本語に聞こえない
どのボタンを押すのか覚えられない

次男は私の能力に合わせて
ゲームの設定でレベルを下げてくれたりしたけれど
それでもついていけない
あゝ(*´Д`*)またキレちゃうかな・・・と思った

けれど
次男は終始笑顔だった
「母ちゃんにはこのやり方のほうがいいよ」などと
私のことを考えて教えてくれている
イキイキしている

そっかあ・・・
あした死ぬならこういう時間の方がいいなぁ


私と次男は似ていた
私は大人だからキレない
でも
思考の癖は似ていた

いつもどこか不安で
いつも相手の顔色をうかがって
いつも無理に笑ってた


今日の夕食後は
2人で自然に笑えていたね

あした死ぬなら
こういう時間がいい


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