ブレワイ&ティアキンの建築物を見てみる回
こんにちは。初めてnoteを使います。使い方がいまいちわかりません。最近撮ったナイスな写真を表紙にしました。なにも建築に関係がありません。そんなのでええんか??ていうか一体何文字まで書けるんでしょうか。よく分からないので行き当たりばったりで行かせていただきますよ!!!!
概要 動機など
こちらはハイラルの建築物についてお話するnoteです。私は以前ハイラル城について建築様式や家具などからお城を深堀りしたものをTwitter(Xって何ですか?)に出しましたが、今回は違います。何を取り扱うかというと、ハイラルの各地に転々と広がる残存した建築物についてです。
なぜこんなことをしているかというと、2月某日のイベントのときに博識フォロワーのカムラさんが私にハイラルの建築様式にはいつくかタイプが存在すること、いたるところに気になる建築物が存在していることなどを教えてくださったのがすべての始まりです。寒空の下、いろんなことをお話ししてくださいました。その節はありがとうございました。唯一謎なのは、あんなに寒かったのにアイスティーを頼んだ私の思考回路です。
というわけで帰宅後に、ちょっと自分の目で見てみようと軽い気持ちでSwitchを起動させたらなんだか知らないうちにここまで来てしまった。(以下画像参照。狂気)
これをnoteにまとめたらおもろいやろ(笑)ということで今から書き殴っていこうと思います。なんせ私は文字数がメチャメチャ多くなってしまうタイプなので長々と語ってしまいそうなのですが許してください。
たくさん資料を持ってきて、分析するものではなく一緒にハイラル建築みていこうぜというノリ。
5パターンに分けられる建築
私はハイラル中の建築物をまわりにまわりまくったのですが、それらはおおよそ5パターンに分類することができると考えました。
①古代建築、②赤レンガ建築、③黒石造り建築、④木造建築、⑤赤石積み建築です。
(あまり建築学とかそいうのに詳しくないので専門的にみたら用語とかいろいろ違っていると思うんですがそこの辺りは甘く見てください… )
とりあえずこの5パターンの建築様式についてそれぞれ特徴などを挙げていこうと思います。(前置き、長くないですか?)
その①
タバンタ地方、鹿王院もといイウンオロクの祠の周辺にある古代石柱群を初めとする古代建築です。白い石でできていると考えられ、どことなくギリシア建築みがあります。イオニア式オーダー、フィレット、アカンサス……うっ頭が……。
古代石柱群の他に、マキューズ半島周辺やターム岬のあたりにあります。あまり多くはありません。詳しく見てみると、おや?なんだか見覚えのある模様が…。
この模様、忘れ去られた神殿にあるものと同じです。
つまり、忘れ去られた神殿と同時期に古代石柱群が作られたというわけです。マスターワークスにも、「力勇気知恵の3つの泉と同時期に作られた」と似たようなことが記載されています。(マスターワークス p.406) これはゾナウ文明のあとに出来た建築物なんじゃないかな。トライフォース信仰があるのはハイリア人だけなので、泉周辺だけでなくリト族のあたりまで古代石柱群があるということは当時からハイラルの広い範囲に権力があったことがうかがえます。
その②
次は赤レンガ建築です。分かりやすいからこんな簡単な名前にしています。このような建築はハイラル城下町に存在しています。というかむしろハイラル城下町にしかありません。
画像をよく見てください。柱や梁が木材なのに対して、その間の部分は赤レンガになっていますよね。この構造材の間を別の素材で敷きつめる建築構造をハーフティンバー (harf-timber)と呼びます。どうやらイギリスのチューダー朝時代に誕生した建築様式だそうです。ひとつ面白い話があって、木造建築が中心に建てられていた時代はレンガは貴重なものであり、一般的ではなかったそうです。そのためハーフティンバーのレンガの部分を漆喰で塗りつぶすようなことをせず、わざとレンガであることを分かるようにしていたそうです。レンガ造りであることが住む人のステータスであったらしい。……………エッ?ということはつまりハイラル城下町は豊かな暮らしをしている人が多かったから、レンガ丸出しのハーフティンバー構造になっていたということ…!?!なんて思ったのです。マスターワークスのハイラル城下町再現イラストを見ても、チューダー朝の建築様式であることがよく分かります。厄災前は屋根が青色の瓦でしたからさぞかし可愛かったでしょう。
その③
それではいまから石造り建築の話を始めます。言葉で説明するより、画像で見てもらったほうが早いでしょうから、まずこちらをご覧ください。
これが石造り建築です。1つ前の赤レンガ建築よりも綺麗に積まれているように見えます。このような建築様式はハイラル王国に関連する建築物に多いです。たとえば、交易場跡や宿場町跡、駐屯地跡や賢者の神殿跡など…。マスターワークスによると、これらの建築様式はロマネスク風らしいです。(マスターワークスp.335) ロマネスク様式とはゴシック建築の1つ前の建築様式で小さい窓が特徴的です。しかも火災に比較的強いので厄災をくぐり抜けた建築物にこの石造り建築が多いのも頷けます。所々、ハイラル城内で使われている文様が入っているところもありました。この石の積み方は長手積みとかいうヤツではないでしょうか。Stretcher bond………。
ハイラル駐屯地跡の少し西の方、安井というかススヤイの祠を取り囲むようにして同じ素材でできた高い物見台?のようなものが10本ほど立っていたような跡があります。平野部で見通しのいいところですから、なにかおかしいところはないか四方八方のハイラルの様子を常時監視していたのではないかと思います。
また、天望の丘の西やドイブラン遺跡の北東付近にもこの石造り建築があって、要所ではないこれらは貴族や神官の邸宅であったのではないかと考えました。
これをみてください。↑どこかというと、デスマウンテン東側の崖あたりにある石造り建築です。シャトー集落跡ではありません。ひっそりと立っています。溶岩がギリギリまで流れ込んでいます。おそらく大厄災のときにデスマウンテンが噴火したんでしょう。手前は草が生えているのでほんとうにギリギリのところだったようです。ここにも面白い点がありまして、ティアキンではこの石造り建築のすみっこに壺が置かれているんです。しかもこの壺、ゴロン族のつぼなんですよね。ちなみにブレワイにはこの壺ありません!!ハイラル王国様式の建築物なのでハイリア人が使っていた建物と思われますが、ゴロン族の壺が置かれているということはなにかしらの交流があっということなんだと思います。
アッカレ湖の水底にもこの石造り建築が埋まっています。これも大厄災の時のデスマウンテンの噴火によってなんらかの地殻変動が起き、湖になってしまったからではないかと勝手に妄想しています。
大宮改め、オヤミオの祠の隣にもこの石造り建築があります。ここにあるのは高い物見台のような建築物なのですが、5本の物見台が列に並ぶようにして建っていた痕跡あります。まるで関所のようです。というか関所の役割があったのではないでしょうか。なぜかというと、ハイラル軍がアッカレ砦まで向かう時、ハイラル城を出たあとマズラ橋とミスミ橋を通って、ベーレ谷のまわりを半周するようなルートを通っていたと考えられるからです。ここが軍の進行ルートの開始点だったため5本の物見台が置かれたのだと思います。
その④
まだまだ続きますよ~!次は木造建築です。これは木のみでできた建築で、ハイラルの各地に広がっています。
これはまだマシな方で、7割ぐらいが枠組みしか残っていない状況です。この木造建築のなかで分類すると、マシなやつ2割、枠のみ7割、全焼1割という具合です。コポンガ村やダフネス山西のほうはまだ残っているのですが、監獄跡やラウル集落跡などはもう焼け野原になっています。横に木の板を並べて、その上から縦方向にまた木の板を両側から貼り付けている構造になっています。ハイラル一般庶民はこのようなおうちに住んでいたと考えられます。1つ前の石造り建築に比べたらひとつひとつが小さいサイズです。
ラベラ湿地帯鳥望台周辺は、めずらしいことに木造建築と石造り建築が混じっています。どちらもかなりボロボロで土台しか残っていないような状態です。ここにはハイラル軍の旗も建っているのでハイラル王国が直接関わっていたことはよく分かります。でもどうしてこんなところにハイラル軍が来ていたのでしょうか?謎が多い。
現在進行形で使われている木造建築は、へブラ山脈登山口の山小屋や、ハテノ砦のすぐ側にある山小屋です。どちらも木材のみでできた建築物で、外観がほとんど一緒です。ただ壁の構造が少し違っていて、ハテノ砦の山小屋のほうは壁が縦に並んだ木材のみであるのに対して、へブラの山小屋のほうは横に並べた木材の内側に、白っぽい木材を内側に縦方向に並べた二重構造のような壁になっていると思われます。へブラは寒いから室内の温度を保てるようにこのような構造になっているのではないでしょうか。
また、南ナビ湖の西方面には、他にあるような木造建築とは違う、丸太でできた木造建築の家があります。大変簡素な作りになっています。たまたま見つけた建築物で、このような丸太の家は地図では分かりません。他の場所にもきっとあるはずなので見つけたら私まで連絡ください。丸太の家といえば始まりの大地にある、ハイラル王のお家なんですが、南ナビ湖の丸太の家はずっと小さく、丸太も細いです。
その⑤
次は赤石積み建築についてです。赤レンガ建築とはまた別物です。一旦画像をみてください。
赤レンガ建築やんけ!……いえ、違います。
レンガではなく石であることがわかります。しかもなにも整頓されていない石。野石乱積みといったところでしょうか。Uncoursed rubble masonry……。しかもなんだか高貴そうな模様まで付いています。この両サイドの巻き巻き、ハイラル城の玉座に似たようなものがあったぞ………?ひとつ謎なのが、実はこの建築様式、特定の場所でしか見られないのです。双子山より、東にしかないのです。いづれにせよ、この模様があることや、出入口が尖頭アーチになっていることを鑑みると、ハイラル王国に関連する建築物であることは確かなのですがいまいちよくわかりません。建築資材の移動がしづらい場合、その土地で取れる資材で建物を建てるため地質などによって建築材料が変わることはよくある話なんですけど、この場合もそうなのでしょうか。この場所でしか取れない素材を使った結果このような建物になった…??うーん分からない。それか、これは双子山が割れる前にできた建物で、山が割れる前は資材の運搬が大変だっただろうから、その周辺でとれる石を使って建物を作った結果こうなったとか??謎が深まるばかりです。
ハテノ村
これでやっと5パターンについてそれぞれ説明し終わったんですが、実はハテノ村が残っています。パターンに含んでおらず申し訳ない。番外編のノリです。
ハテノ村の漆喰がハゲていて助かったのは私だけでしょうか。いや、そうではないはず。ハゲ部分を見てみると石積み建築ですが、1つ前の赤石積み建築と比べて、石の高さが同じようにして並べられているようにみえます。つまるところ、整層野石乱積みという感じですね。ハテノ村は赤レンガむき出しのハイラル城下町とは違い、漆喰が塗られています。ハテノ村は大厄災の被害を逃れているので多分100年前の建築がそのまま残っているはず。そりゃあ漆喰もハゲるわけです。漆喰は室内の湿度を一定に保つ効果があるので、意外と海辺で湿度の高そうなハテノ村にはもってこいですね!
地図で見てみよう
これで一旦建築様式の説明は終わりました。次に地図をみて、建築様式の分布の特徴を見てみましょう。ハイラルの建築を探索する傍ら、全部星マークを地図に付けていたので、それを使って色分けしてみました。いくつかの建築のかたまりは「エリア」としてまとめました。
まず、赤色のエリア7とエリア8の話から始めます。これらは古代建築の集まっているエリアです。右上と左上に多いです。同時期に作られたとされる3つの泉や忘れ去られた神殿を加えるともっと赤い部分が増えます。
オレンジ色のエリア2とエリア3は木造建築のうち丸焼けになっている建築物です。特にエリア2なんかはハイラル城が近く、ガーディアンのビームが直撃して燃えてしまったのかなと思います。(その割にハイラル城近くで燃えていない木造建築もある。ビームが当たらなかったのかな?ガーディアンは人に反応するから人がまだ残っていた家屋だけビームを放ったのかもしれない)
次は緑色のエリア4.5.6です。こちらは石造り建築が多く広がるエリアです。エリア6、お城のお膝元でいろんな重要施設が集まるハイラル洛中エリアは言わずもがなですが、王立古代研究所やマリッタ交易所跡のあるエリア4、ハイラル城からアッカレ砦までの軍の進行ルートであるエリア5に散らばっています。ハイラル王国の経済と軍力を支える重要な建築物であったようです。
次はオレンジ色のエリア1の話をします。こちらはその⑤でお話した、赤石積み建築がある場所です。見てわかるように、双子山の右側にしかありません。だから双子山が割れる前からあった建築なんじゃないかなと考えたわけです。(詳しくはその⑤参照)
地図と照らし合わせてみると、意外と同じ建築様式は近くにかたまって存在していることが分かりました。しかも、気候が温暖ではないへブラ地方やフィローネ地方、ゲルド地方にはほとんどハイリア人の建築物がないことも分かりました。
ブレワイにあって、ティアキンにないものな~んだ?
私はずっとティアキン版ハイラルを駆け巡っていましたが、ある程度の探索を終えた後に気づいたのです。ブレワイとティアキンで少し建築物の配置が違うことに…!! そりゃそうだよな。まったく変わらないわけがないのです。だって任天堂だから。ということでブレワイの地図とティアキンの地図を見比べながら違うところがないか探しました。(基本的に建築物は地図をみれば分かるようになっています。)
1つ目はデスマウンテン東側にある建物です。その③で取り上げた石造り建築ではありません。シャトー集落跡でもありません。ブレワイにのみ、③で挙げた石造り建築の東側にもう1つ石造り建築があります。オクタの森の南西方面と言った方が分かりやすいでしょうか?
住宅というよりなんらかの施設のような構造をしています。小さな聖堂だったのでしょうか。ティアキンではどうなっているかというと、
あとかたもありません。魔物の住処の素材の一部になってしまったのだろうかと思いましたが、そのようなこともなさそうです。魔物たちが石造り建築を壊しちゃったのかな??ものすごい力持ちですね。(それに勝つリンクって……)
2つめは、セレス平原の南側、ブレワイのシ・ダゴスの祠の北側にある石造り建築です。こちらもティアキンにはないものです。(厳密にいうと、左側の瓦礫みたいなものや石畳の地面などは残っているのですが、右側のような建物は跡形もなくなくなっています)
…………A FEW MOMENTS LATER…………
スッキリしちゃってますね。ダメな方のスッキリです。魔物たちもいなくなっています。ゴーレムたちにフルボッコにされてしまったのかもしれません。かわいそうに…
という具合です。多分ほかにもあるかもしれませんが私が見つけられたのはこれだけでした。ブレワイにあった建築がティアキンでなくなるだけで、いろんなことが想像できちゃうのが楽しい。
あとがき
以上でハイラル建築遊覧の旅はおしまいです。
ここまで読んでくれた猛者はいますでしょうか?どうやら私と仲間のようです。5000字超えそうでどうしようとか言ってたんですが、いつのまにか7000字を目前としています。そろそろ切り上げないとまずい。まずいですよねゼルダ先生!?
というわけでハイラルにはいろんな建築物がある事が分かりました。今回サラッと見ていただいただけでも、ハイラルの人々の生活が垣間見れたと思います。箪笥の肥やしというか脳の肥やしにしてもらえれば幸いです。なんか面白い情報があったら私に教えてください🐣