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脳腫瘍の愛猫との1年間のお話 13

高度医療センターにべべをつれていくその朝、長丁場になるかもしれないと、水筒や軽食、携帯の充電器などを用意していた。
前の日は1日歩けなかったべべだが、その日はよろよろと私の傍に寄り添うように来て、ちんまりと座っていた。今になって強く後悔をしているのだが、動揺が続いていた私はそのべべの眼をしっかり見て話しかけることができなかった。怖くて対峙できなかったのだ。辛い体で私の傍にきて見守ってくれていたのに私は準備に没頭することで、現実から目を逸らしていた。このことは1年たった今でも悔やまれる。

キャリーバックにそっとべべを入れた。もはや暴れん坊猫ご用達の洗濯ネットも必要ない。入れる瞬間に「ミャ。。。」みたいなか細い声で鳴いたのみだ。こんな弱っている体でもキャリーバックに入れられたことには反応はしていたのだ。

高度医療センターの担当医は冷たい感じの。。いや、ドライな感じの獣医師であった。べべを横に置いたまま、容体とこれまでの経緯の説明をした。
「X日には歩いていたのですが、X日は一日横になったままでした。」と私が言うと、
「歩けるんですか、歩けないんですか。どっちですか?」やや怒気を含んだ声で聞き返された。
「ですから、その日によって歩行できたりできなかったりするんです。例えば、後ろ脚の関節が痛いなら、ずっと歩けないですよね。脳以外は検査したのでまだ検査していない脳を疑うに至りました。」と私が言うと獣医師はそれをカルテに書き留めていた。

様々な異変が出現し、次の日にはその異変が消え、また別の異変が出るといった”異変の不安定な出現の仕方”、に一番悩まされていたのだ。ルーレットのようにその日に出る異変の内容が違う。

まずは本当にMRI検査を行う必要があるかの検査、あとはMRI検査に耐えうる身体であるかどうかの検査などをするということで1時間後ぐらいにまた来てくださいとのことであった。当時はコロナ対策ということで院内での待機が禁止されていたので、私はべべを託しいったん外に出ることにした。



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