2024年5月29日(水)GRアワー深掘り🌏楽育チッチ山口育子氏に伺うラクに楽しく自分育て人育てチッチ楽育ノート 125


ゲスト:山口育子さん、モデレーター:加藤まみさん、サブモデレーター:小林妙高さん、坂上良恵さん、議事録:沼尻淑子

【生い立ちについて】
障害1級手帳を持つ子供の母をしている。リハビリから復活、生かされて生きることの大切さを伝えている。楽育学、アドラー心理学を学んでいる。応接セットの家具屋の4兄弟で末っ子の長女。心斎橋の百貨店、官庁、白浜ホテルなどに応接セットを収める家業をしていた。無事に育って欲しいという願いから育子と名付けられた。父はベンツに乗ってゴルフ三昧をしていた。一代で頑張って会社を作り上げた。母からは、勉強より健康と育てられ、高校まで皆勤賞だった。バスケットをしていた。
18歳の時に父の事業で不当たり2,000万円をもらった。保育士か体育の先生になりたかったが倒産の為行ける状況ではなかった。しかし、母から「女の子は子どもを育てていかなければならないから短大を出ていた方がいい」と言われた。母は祖父が早くに亡くなり、学校に行けなかった。祖母は着物を縫ったり夜鍋をしていた。小学生卒なので母は勉強したかったんだと思う。母は堅実な人で、商売が得意でなかった。ある勉強会で、商売をマイナスに捉えていた私に、京都フォーラムの矢崎会長から「私立まで出してもらったのはお父さんが商売をして出してもらったんでしょう」と言われ大きな気づきをもらう。

【保育士の経験について】
短大で、栄養士、保育士の国家資格、中学の家庭科の免許も取った。保育園に就職のつもりだったが、母が保育士は命を預かる仕事だからと反対された。本町にある相愛大学は就職受けが良かった。成績優秀から、東京海上、サントリーなど優良企業に入れた。私はパソコンの入れ替えの時期で人手が必要だった為、新聞広告をみて安田火災に入社。10:00〜16:00で残業もあった。当時、お給料は封筒が回ってきて自分の分の金額を書いて回す方式だった。男の人はお給料が多かった。ブランドバッグを持つ人たちが周りにいたが、私が望んでいるのは“青い空の下で子どもと遊びたい“ということだった。ちょうどその頃、高校時代のバスケ部のマネージャーが保育園に勤めていて、園長先生が結婚したため人員不足で声をかけられた。母にお願いをして大阪のキリスト教系の保育園に勤めた。その保育園が閉園になる時、どうしても保育園に入りたい子どもたちが12人いて、その12人を1人で引き受けて面倒をみた。家業は倒産したが、兄が婚礼家具の在庫を扱って仕事をしていて、その手伝いもしていた。その後、新聞の就職欄で仏教系の学校が保育士を募集していた。園長先生のお嬢さんがたまたま相愛だった。口頭試験で「池に人が溺れている。恩師とお父さんとお母さんが溺れた、誰から助けますか?」と言われた。当時母が病気していたので「母を助けます」とすぐ言った。園で子どもに声掛けしていた姿が気に入られたことも採用のきっかけだったが、口頭試験で「溺れているのに判断に迷っていたら誰も助けられない、質問に即答したのが良かった」と言われた。以前の園の先生がお見合いをセッティングしてくれて旦那さんと出会った。学歴は知らなかった。あの仕事をしているから大学は出ている、きっとお給料もいいでしょう、と結婚となった。滋賀県は京都との境目の所。

【楽育、チッチメソッドの立ち上げ】
グローバル共和国にいる、元学校の先生の小嶋十糸子さん(トコちゃん)と43年前に知り合った。楽育ノート、チッチメソッドを一緒に作った。トコちゃんがベルギーから帰って来た日に夢を語った。
左に保育園、手前にはピンクのチューリップ、右に老人の施設、真ん中には大きな施設、その周りには、個人の家で夫婦で暮らしている。個人の家は、お金がなくても誰かが住める。老人ホームも急でもご飯を作ってくれる介護施設があるといいと語る。夢を語っているだけではと、先ずは自宅を解放しての保育をする事になる。丁度、子育て支援で子どもだけを預かってと言われていた。1人1人を大切に出来る園を作りたかった。12人を2人でみようとなった。
その後、とこちゃんの子どもは2人いてもう諦めていた時に子どもをさずかる。そのころ私は公立幼稚園の副会長をしていて、もう1人の幸子さんが手伝ってくれる事になる。ピアノが上手な方だった。その日その日でやることを決める楽しい日々だった。アドラー心理学のパッセージを保育のベースする。希望するお母さんに受けてもらった。お願い口調や課題の分離、アイメッセージなど。お母さんや子どもたちが幸せになるような教育を目指した。チッチに来ている方の8割9割は良いお母さん。でもなかには、ガミガミのお母さん。お母さんが子どもをガミガミ叱ると子どもはお母さんの前では大人しくしているという副作用が出る。アマアマのお母さん。マリンバ演奏会で音楽を流していた時に子どもが走り回っているのにお母さんがニコニコ見ていた。ゆっくり聴きたいお母さんもいる。楽育メソッドを作ったのは子どもたちが楽に育てられる方法をお伝えしたかった。池田さんが本に組み立ててくれた。子どもには必ず宝がある。お母さんたちにも宝がある。楽育を楽しく学ぶ。キンドル版は内容を変えて出版。息子は障害1級で生死彷徨った経験がある。ICDを心臓に入れている。娘婿さんはプログラマーから、ビール好きで、地ビールを作っている。息子は、体調がいい時に手伝いに行ってます。

【リスナーから】
小林妙高さん:子育てしている時に、育子さんにお会いしたかった。息子、娘とも健康に育ち、学校を終えて就職して孫もおりますので、幸せに暮らしている。自分の子どもたちに良い情報を流していきたいなと思っています。素敵なお話ありがとうございました。
七海由紀子さん:育子さんのお人柄。いかに優しくて相手のことを考えてあげる。育子さんは最高な方。親さを感じております。ありがとうございました。
小嶋十糸子さん:育子さん43年間一緒にいる。愛で育てられた娘さんが原画展のラベルを作って下さった。お嬢さんが育子さんの愛を引き継いでおられる。近江ビールです。

【最後に一言】
最近までしんどい時があったけれど、今はみんなのおかげで元気になってやっとスタートに立てた所。他の講演会の依頼も受けた所です。タイミングよく、加藤まみさんからお昼のGRアワーの登壇のお話を頂きました。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?