2024年1月17日(水)GRアワー🌏「小説津田梅子 ハドソン河の約束」こだまひろこ氏に伺う、新五千円札津田梅子からの学びとは」110

ゲスト:こだまひろこさん、モデレーター:加藤まみさん、サブモデレーター:Yoshie Sakagamiさん、小林妙高さん、議事録:沼尻淑子

【生い立ちからミュージカルプロデュースまで】 母は四谷、父が長野県出身で原宿生まれで妹が1人いる。父は原宿で縫製工場を経営していた。母は新宿でブティック(総合衣料店)を経営。大学卒業後に日立製作所に入って事務職をしたが肌に合わず二年で退職。その後イギリスに語学研修に行く。イギリスでは午前中に英語の勉強をして午後イギリスの史跡巡りをしていた。観光+英語の勉強。結婚して子どもたちが小学校に入り、ブティクを手伝い始めた。ファッションが大好きでバブル時代も経験した。ユニクロが出てきた時代から、お客様のファッションの感覚が変わってきた。お店を4店舗やっていたが縮小していき、1店舗を残して他の人に任せた。その時に女性のための社会支援「ウィメンズコミュニティ」を設立。会社を辞めて子どもを産んだ女性達が、お互いに話すことによって自分で解決していく場所として集まり、2015年、そのお母さんたちと子どもミュージカルを主催。 2013年に北原塾第1期生に入会、その時の課題で「尊敬する人は誰ですか?」で津田梅子を調べ始めた。ミュージカルは銀座博品館劇場でも開催、元劇団四季のグランワルツミュージカルの方に出演して頂いた。国分寺市立いずみホールでは地元の小学生か多く出演。音楽はすべて自分たちで作曲して恵まれた環境だった。王子様が土星を目指していく、『ロケット王子の星ものがたり』を毎年開催した。2019年ワシントンD.C. 国際宇宙開発会議には5名で出演。帰りにニューヨークのブロードウェイでミュージカルを観た。2020年にコロナ禍になり、書き留めていた資料をまとめて津田梅子の本を執筆した。

【津田梅子の本、出版に至るまで】
津田梅子のまとめ書きはFacebookで投稿した横書きだったのを、縦の原稿用紙に書き換えた。しかし時系列に書いていったら全然つまらないものになってしまった。そこで主人公を津田梅子に変えて原稿を書き直した。全部で300ページくらいある。 小説は新潮社から出版。お友達から自費出版もあると聞いた。ちょうど新潮社の図書編集室も自費出版を募集していて、新潮社は明治からの歴史があるので新潮社にした。担当の方から原稿は秀作だと言われた。また、津田梅子がお札の顔になるというニュースも流れ始めた時期で、内容を知りたいという人もいて原稿執筆を頑張った。山本正乃先生がグローバル共和国で広めてくれた。エンタメ部で朗読劇もした。「ピアノと朗読の集い」の公演は7回目まで終わった所。今年の2月から講演会のお話を色々頂いている。日本で女子教育を広めてくれた津田梅子の生き方が素晴らしい。皆さんにその素晴らしさをお伝えしたいという気持ちでやっている。

【小説津田梅子 ハドソン河の約束ー米国女子留学生による近代女子教育への挑戦】
「女子英学塾」(現在の津田塾大学)の創設。入学生は10名。良い教室や書物は出来るなら完全が良いが、物資の設備以上に大切なものがある。それは教師の資格、熱心、学生の研究心。精神的な準備が出来ていれば真の教育は出来る。生徒の個性によって別々の取り扱いをしなければならない。真の教育は少人数。オールラウンドウィメン。月に1、2回は英語の他、専門家のお話。目立たず、出過ぎず、謙虚で丁寧。入学式は10畳の和室で行った。準備は開校3ヶ月前の7月から始めた。前職の教授の辞表を提出、名誉ある地位と給与を手放した。寝る暇もない毎日。英語教師を目指す生徒も集まった。津田梅子は最初小さく始めることを望んでいた。過大な広告を始めることより小さな広告から。アメリカに留学した6歳から29年後の35歳で、理想の日本女子教育に着手。日本と米国の融合。ブリンマー大学在学中、生物学者として実力を発揮。米国留学は昭憲皇后から賜った派遣。国費で米国で学んだ全てを日本女子のために。日本の女子教育一筋だった。ブリンマー大学のトーマス学長に手紙を書いた。

【津田梅子からの学び】
父親の津田仙の生まれは徳川家に支えていた佐倉藩。母親の初子は幕臣の娘で、武士の家に育っている。家のしつけ、手習、踊りや三味線などしっかりとした教育がされていた。志を曲げない精神が受け継がれている。豊かな感性と素直さ。6歳で渡米してアメリカでランマン夫妻にお世話になり、色々なものをどんどん吸収していく。アメリカに馴染もうという努力。自分はしっかりとやらなくてはならないという気持ち。持ち前の明るさとポジティブな考え方。24歳で再びアメリカの大学に留学。色々なものを学び自分のものにしてきた。帰国して本格的に女子教育の活動を始めた。年輪のように色々なものを積み重ねていった。34歳で『女子英学塾』を創設。未来の日本の女子のための教育。日本の道徳や文化とアメリカの女子教育を融合させた。伊藤博文と帰国後に再会して影響を受けた。津田梅子の素直さや曲げない信念は素晴らしいと思った。自分の生き方は揺れるものだが津田梅子は揺れない。信念のある生き方の全てがすばらしい。津田梅子の方針である、学校を出てから、すべてが学校に全て戻ってくるという考え方は、学校教育がどれだけ大事か。少人数制にこだわって一人一人に合った教育をした。授業は厳しく、ついていけなくて脱落していく人もいたという。偏らない教育を目指して、授業以外に文学会を開催、新渡戸稲造などを招いて話を聞かせた。

【学ぶ側として、梅子さんをどう捉えるか】
これからの女性の生き方を学びたいという人が増えていく中で、津田梅子の生き方は学びとなる。「女子英学塾」での寄宿舎生活ではものすごく優しい梅子先生だった。梅子先生のカレーライスを食べ、梅子先生のピアノで踊る。寄宿舎生活も大切かもしれない。

【リスナーからの感想】
山本正乃さん:グローバル共和国の新しい人を見ていたら、津田梅子さんの本を出されているこだまひろこさんを見つけた。繋がりを持って、地道に8年間かけて調べた本。惹き込まれる本で一気に読んでしまった。女性の生き方や教育のこと、海外の支援のことなど色々なことが織り込まれている。お勧めの本です。
日下部純江さん:とても濃くて尊い内容で良く書かれた本だと思いました。
國枝玲子さん:こだま先生の作品、ご自身も本も素晴らしく、応援させて頂きたい。

【新札記念津田梅子シンポジウムのお知らせ】
4月13日(土)に東京ウィメンズプラザホールで講演会があります。津田塾大学理事長の高橋裕子先生や、大山捨松さんの子孫の久野明子さんなどもご出演。皆さんの知らない話も出てくるかもしれない。久野明子さんは『鹿鳴館の貴婦人』という小説も書かれています。皆さん是非お越し下さい。
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