2024年5月7日(水)GRアワー深堀り🌏ドバイ博ギフトのデザイナー河野祥子氏に伺う「日本文化の美しさを世界に発信」とは? 122

ゲスト:河野祥子さん、モデレーター:加藤まみさん、サブモデレーター:坂上良恵さん、小林妙高さん、議事録:沼尻淑子

【デザイナーの仕事をして】
HARDY AMIESなど何百ものデザインを担当していた。海外の縫製工場に出張する機会があって社会的な問題、低賃金や劣悪な労働環境、環境汚染を見てきた。ファッショントレンドが生み出すものを目の当たりにする1年、2年目だった。パリコレ、ニューヨークコレクション、ミラノコレクションで出されたものをコピーしてZARAなどのアパレル企業が作る仕組み。いかに早く世の中に出していくかが重要。中国や台湾、バングラデッシュ、アフリカなどが下請け。その土地の伝統工芸の美しい刺繍があるのに、よそのヨーロッパ人のものをアジア人が縫製していることに憤りを感じていた。デザイナーの初任給は手取りでお給料25万円。人を喜ばせる仕事なのにコピー商品の作成で地域の人が喜ばない仕事になっている。

【会社設立について】
大分県の地方で生まれて小さいコミュニティの中で人々が助け合って生きていく世界だった。もっと生み出すものが地域に役に立つもの、人の幸せに役立つものにしていきたいという思いがある。東日本大震災があって福島県の絹織物の会社も被災した。展示会などのウェディングドレスのレンタル向けの仕事もしていた。その福島の工場では精錬して絹オーガンジーを作っていた。なんとか絹織物の美しさを世界に伝えていきたかった。農家の人は牛を叩き売るなど、労力をかけて工夫で育んできたものを一瞬で売っていた。人間としての尊厳を売ることになる。日本で一番高いストールを売る会社として会社を設立した。最初の3年はウエディングドレス作成、OEM(衣装店から希望されるデザインを作って売る仕事)をしていた。ウエディングドレスの生地以外で福島の織物の美しさを表現したかった。個人事業主としての仕事は
自分の収益を使ってどうやってホワイトピジョンを広げていくか。奄美、徳島、京都などに視察に行っていた。京都の注文数がとても多かった。中国の検品や商談の立ち合いの仕事をしていた。ある時、台湾人の社長にスパッと裏切られた形で切られた。熱い思いで独立したのに、延長線の仕事をしていただけだったと気付かされた。神様が本当に自分のやるべきことを気付かせてくれた。

【ストール製作、販売について】
織物を気軽に楽しんでもらえるものはストールだと思った。1枚布の可能性、ストールは縦横無尽にその人の生活スタイルに合わせて結べて自由度が高い。いろんな国の人に楽しんでもらいたい。3年目にストールの仕事を始めた。日本橋三越のバイヤーさんと話す機会を得た。「海外ブランドに頼るだけでなく、メイドインジャパンを発信していきたい」と、三越のバイヤー50名の前でプレゼンをした。基本、デパートの出展は地方のPOP UPで実績を積み重ねて大手百貨店の本店に出展出来る。出品基準が厳しい“逸品会“に出展出来ることになった。ハイブランドがオリジナル品を作成して外商のお客様向けに開催する会で、ホワイトピジョンのものを出させてもらった。格式ある所で出すことによって本当に素晴らしいものとしての価値を伝えたかった。端ミシンの処理など日本の技巧を使って誇りを持って仕事をしてもらった。ブースを大きく構えさせてもらった。逸品会で1枚も売れなかった。全て1人でやっていて、商品の伝え方、魅せ方、お客様への対応の仕方が出来ていなかった。隣のボッテガべネタはお客様を迎える体制が整っていた。もう1回チャンスをもらってやり方を見直した。新宿伊勢丹の近く徒歩10分圏内にオフィスを構えてスタッフを採用、商品を揃え検品して綺麗に整え直して半年後に催事に出させてもらった。結果に繋がって三越本館でも行い、常設の出展まで持って行った。デパート側で提示された予算も達成できた。2015年から4年間の日本橋三越で常設した。常設中は毎月予算を売り切った。退店の理由は海外に自分のショールを届けたいをいう思いからだった。海外に目を向ける時間的余裕がなかった。世界に作品を届けたい、という思いが強かった。交渉、数字も1人で全部やっていて自分なりのこだわりがあって会社を大きくすることが出来なかった。

【ドバイ万博出展について】
コロナ前に退店して、海外に販売シフトを切り替えて準備した。わかりやすい形で伝えられるのは万博だと思った。経済産業省に訪問して出展出来る方法を聞きに行ったらメールフォームに記入してくださいと言われた。1回説明させてもらうので来てください、と言われた。万博に出展するには1,000万円かかると言われた。また、上場、それに準ずる社会実績のある会社でないと対応していない、と言われた。「贈答品としてお役に立てるので、ぜひ検討して欲しい」と伝えた。「万博出展は2400社目星をつけてあって、難しいが検討してみる」と言われた。ジェトロで検討されるということで、ジェトロにPRした。「作品を見せてください」と言われ、「ストールは軽いので持ち運びもトランクケースに20枚運べる。ぜひ検討して欲しい」と行った。8枚ストールをVIPお渡ししたいと言われて契約書を書かせてもらった。契約書まで2週間だった。どういったものがこれほどの富裕層に欲しがられるのか悩んだ。“アラブの王様、お姫様“などキーワードを入れて調べた。調べたら日本の着物も購入されていた。和柄だけだと感動しないだろう、美術ものであれば、誰も考えていないものをそこに載せられると思った。ドバイと日本を結びつけるもの。ドバイはどういう国かを調べた。はやぶさが国鳥で男性の強さを表すもの。日本のはやぶさは宇宙小型探査機で、小さなパーツでとても優れている探査機。宇宙を舞っている。はやぶさ、と小型探査機はやぶさをかけて、ストールに描こうと思った。ストーリーを墨絵で描いて8枚プレゼントさせて頂いた。開業しようと思った時に、シンプルに物の良さを伝えたかった。かわいそうだからと寄付するのは違う、尊厳を大切にしたかった。シンプルに仕事の価値を認めてもらいたい。仕事のプライドを持っている。本来の価値を伝えていく。中長期的に支援より、パートナーとして。起業して10年目、万博、政府の方にも喜んでもらえて国際交流のお役に立てたのが嬉しかった。何年かに1回生産体制を見直しで、主たる仕入れ先を福島県にした。1400年前に福島県川俣町で織られた生地を聖徳太子が初めて中国と交渉した時に持ち込んだと言われている。2011年から使わせて頂いているシルクオーガンジーは作品7割をその川俣町で生産している。新潟の五泉市では夏の絽の生地。シルクだけど利便性が高い。福井県の蚕から育てて手紡ぎして織っている生地。染めは京都の与謝野、丹後ちりめん産地、織元さんの麻の生地。

【日本産の良さについて】
日本産はパッとみると地味だが、絹は水につけると輪染みになると言われているがそうならない。織り方が繊細だと水に強く、簡単に型崩れしない。目に見えないけれど質が高くて長持ちさせられる。貧しい国でも少ないものを大切にしようという精神性。いぶし銀的良さがある。日本人の相手のことを想う精神が詰められている。自分で染めも始めた。社会人になって染めの勉強してきて学んだことが多い。ドレスでは日本の反物を使っている。

【1枚布で仕上がるドレスについて】
結びから生まれる装い。ユニバーサル着物、多様性のある着物を目指した。着物は反物13メートルの布を余すところなく使っている。ヨーロッパブランドでは1番いい部分だけ取って、あとは削ぎ落としていく。日本文化は余すところなく使い切る。日本の素晴らしい所。昼と夜のファッションチェンジ、昼はAパターン、夜はBパターンが出来たら便利だと思った。生地も無駄がなくて、スッキリしたものが楽しめる。環境に配慮、形、直線で繋ぎ合わせている。体型を選ばないもので、紐やスリットの位置を変えて、結び方、着方で一番いい所を表現する。素材は品良く。インドで日本の原画を使って手作業でハンドプリントしていくものなど。控えめにしているものの良さがあると思う。

【挑戦したかったこと】
最重要性項目として、海外の方に絹の快適さを届けたかった。アマゾンに昨年の冬から出品を始めている。イラクに行った時に戦争の悲しい歴史や、女性が社会の中で働く自由がないことを知った。イスラム圏の女性にもまとっていただけたら。アマゾンの流通システムではイスラム圏も含まれている。仕事をしている時に思うのは接客、お客様とのコミュニケーションの大切さ。過去に自分で出来なかったこと、目の前のこと、与えられた仕事を精神誠意やっていきたい。

【城石ひろこさんから】
改めてヒストリーを聞かせて頂くと、芯のグローバルの女性だと聞かせて頂いた。昨夜、乗船中のガラディナーで祥子さんの翼をまとったドレスを着させて頂きダンスをした。皆さんにビューティフルと言ってもらえた。ドレスコードがゴールドだった。伝統工芸を繋いでいきたい。人の中で情報、伝統、メッセージ、融合するからどこにもないものが出来上がる。本当にご活動が素晴らしい。祥子さんはGRのシルク部屋にお邪魔したりしていた。日本文化を世界に、グローバル共和国のミッションだと思っている。

【最後に一言】
何か壁となるものがあった時はまず第1歩を踏み出すという所が大事。万博に出展してみたいな、と思った所から2週間で実現しました。まずはチャレンジしてみる。そういった気持ちが届けばこの時間が有難いものだと思いました。

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