サムライクリスチャン高山右近6伴天連の大旦那
信仰と家(領土)の両立が難しいことを悟った高山右近は、キリスト教にますます傾倒し、信仰に殉じていきます。
高槻城周辺に住む貧しいキリシタンが亡くなったときには、農村に巨大な十字架を建てて自ら棺を担ぎ、800人規模の集団洗礼を実施。高槻一帯は、キリシタンの数が飛躍的に増えたと伝えられているのです。
さらには、京都に南蛮寺(教会堂)を建てるため尽力したり、安土城下に、西洋の学問を教える学校「セミナリヨ」の建設について、許可が得られるように織田信長と交渉したりと、日本におけるキリスト教の発展に貢献しました。
テサロニケの信徒への手紙一 2:4 新共同訳
わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。
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