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パトルシェフ

4月29日 モスクワタイムズ:
シロビキのボスがシロビキのマニフェストを公表 ―西側との永遠の戦争と恒久的ソ連経済

戦争が長引くほどロシアの「ソビエト化」、さらには「北朝鮮化」が行われる可能性が高まる…

ロシアはますます個人的権威主義に突き進んでいるが、政治が全て消えたわけではないことを忘れがちだ。
むしろ、君主を動かそうとする宮廷政治はさらに重要になっている。
ウラジーミル皇帝の宮廷では、最も強力な人物でさえ演技をしなければならない。
このことは、最近、ニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記が政府機関紙ロシイスカヤ・ガゼータの取材に答えたことからも明らかだ。

パトルシェフはKGBから露連邦保安庁に移った経歴の持ち主で、実質的にプーチンの国家安全保障顧問である。
そのため、このような長時間のインタビューは異例であると同時に重要である。
彼はまさにタカ派中のタカ派だ。
私は以前、彼を「ロシアで最も危険な男」と表現した。
なぜなら、歴史的使命の話で野心を煽り、西側の陰謀論で猜疑心を刺激してプーチンをさらに危険な立場に引きずり込むからである。

彼はシロビキ(軍や治安当局の有力者)の主要なスポークスマンであり、その中でも最も国粋主義的な人物である。
このインタビューこそ、ある意味でシロビクのマニフェストだった。
長い間、世界を家来と敵に区別し、世界を焼け野原にして歩き回っている米国が、主権、自意識、文化、独自の外交・内政を手放さないロシアに対抗してきたという、終末的な世界の絵が描かれているのである。
パトルシェフの薄気味悪い想像力に富んだ世界観では、米国は道徳的に堕落した自由主義の欧州の助けを借り(彼にとって「自由主義」とは「欧州と欧州文明には未来がない」という意味だが)ロシアを打倒するために、ウクライナを代理人として仕立て上げてナチス化し、ロシアの覇権に抵抗する意志を打ち砕く闘いをさせているに過ぎない。

ガゼータは大衆紙ではなく、このインタビューは他の様々な報道機関に再利用されたが、本当は一人の聴衆のために行われた。
つまり、プーチンに聞かせるためだ。
実ところ、シロビキでも実際に戦わなければならない国内政治的な議論がいくつかあるのだ。
まず、これは「特別軍事作戦」なのか、それとも「戦争」なのかということだ。
紛争をエスカレートさせるように用語をエスカレートさせるかどうか、水面下で鋭く議論されているのである。
なにしろ、正式に戦争と認められれば、予備役の大量動員の呼びかけ、一年間の公務の後の徴兵制の維持など、さまざまな新しい選択肢が得られるからだ。
戦争の主要な問題の一つが人手不足であるので、これは魅力的な選択肢である。
しかし、大統領府の官僚機構を中心に、これを作戦の第1段階が失敗と認めるに等しいと懸念する人も多い。
また、国防省の一部にも、最終的な和平交渉の余地が狭まることを懸念する者もいる。
NATOとの代理戦争になったというパトルシェフの主張は、敗北の結果としてではなく、西側の過剰反応に対応する物語に見せかけようというものだ。

同様に、戦争が始まったとき、多くのシロビキが事実上の経済の国有化と軍事化を主張した。
しかし、内閣の官僚たちは押し返し、現在も経済の舵取りをしている。
しかし、パトルシェフは「我が国の特殊性を考慮することなく、市場メカニズムだけに信頼を置く」ことはやめるべきだと主張し議論を再開した
ロシアは国家の必要性に応じ、「規律を強化する」ことで独自の経済システムを作り出すことができると主張しているのである。
これは、ソビエト経済を彷彿とさせる。
確かに、ソビエトのシステムは、表向きは平和な時代でも、実際は常に戦時経済であった。
絶対的な規律と社会・経済の動員によって、西側との文化的、政治的、そして軍事的な永久戦争を戦うロシア。
それがシロビキのマニフェストなのだ。

これは、ロシア、ウクライナ、そして誰にとっても恐ろしいことである。
しかし、パトルシェフがプーチンに最も近いイデオロギーを有しているにも関わらず
彼が主張をしなければならず、しかもそれを個人的な会話でなく、公的なインタビューを通じて行わなければならないという事実は、いくらかの気休めになるかもしれない。
戦争が長引けば、「ソ連化」さらに「北朝鮮化」への圧力は強まる。
しかし、今のところはまだ、議論は続いている。

露国営メディアのパトルシェフへのインタビュー記事(5月24日)

パトルシェフは「論拠と事実《Аргументы и факты》」誌の取材に答えた

 特に、露が直面している脅威とウクライナの運命について語り、西洋の教育制度を批判し、露モデルへの回帰を求めた

・ナチズムが再び醜い形で現れないように、100%根絶しなければならないので、露は軍事作戦の方法にこだわらない ・プーチンが設定した全目標を達成する

・もしウクライナが独立を保ち、「現在の傀儡政権」に支配されていなければ、NATOやEUに参加するなどとは考えず、ナチスを追い出していただろう

・ウクライナの運命は、住民により決定される 露が主権を侵害したことは無い ・西側諸国は露が他国を保護してきた歴史的事実を無かったことにしようとしている

・米国とNATOはウクライナの戦争を長引かせようとしている

・フィンランドとスウェーデンのNATO加入は直接の脅威であり対応する必要がある

・ウクライナのナチスとキーウの犯罪政権を支援した国々にたいして露は賠償請求する権利がある DPRとLPRも8年間で受けた損害について賠償請求する権利がある

・米国は人権、自由、民主主義を言い訳にしているが金のためにやっている。金のためにウクライナの住民を消耗品にしている。

・コロナウイルスは、製薬会社の支援を受けて国防総省の研究所で人工的に作成された可能性がある。クリントン、ロックフェラー、ソロス、バイデンの財団がそれを計画したのだ

・露の学生と科学者は西洋から閉め出されている。露は西洋の教育システムを廃棄し「世界最高の露教育モデルプログラム」をはじめるべき。愛国的映画と芸術の予算を増やす必要がある。

・一部指導者と教科書は、露の運命的歴史的事実を歪めている。大祖国戦争の英雄たちについて授業で割かれる時間が少ない。

・第一次世界大戦や愛国的英雄についての勉強が足りない
(終わり) 

参考:ロシアメディアで登場していたコラムを訳したスレッドです

「ルースキーミール信奉者」パトルシェフの略歴

ニコライ・プラトノビッチ・パトルシェフ (1951年7月11日 サンクトペテルブルク生まれ)
FSBの元局長、元陸軍将軍、現安全保障会議の書記 2018年から個人的な経済制裁を受けている
父親は最高位海軍大佐。母親は科学者。
1974年造船学校を卒業、設計局でエンジニアになる。同時に国家安全委員会に入会
国家安全委員会(KGB)で1年間の上級トレーニングコースを修了し、以来レニングラード地域の防諜部隊:ジュニア探偵、探偵、市部長、地区部副部長、密輸防止および汚職対策部長を歴任
そしてソ連崩壊
1992年6月から1994年まで-カレリア共和国の安全保障大臣、 ロシア連邦防諜局局長
1994第一次チェチェン侵攻
1994年-1998年FSB内部監査部門、人事部門、査察部の責任者であり、FSBの副所長
1998-エリツィン大統領の下で6月にロシア大統領府執行部(APR)会計検査院長
1998年8月ロシア財政危機・デフォルト
1998年8月11日から1998年10月6日の間にAPR副長となりその後APR参謀長に就任
(第一副管理局長に就任したプーチンの後任として、APR参謀長に就任)した。
1998年9月11日に首相にKGB出身のエフゲニー・プリマコフが首相に就任。
プリマコフは大統領よりも議会重視のスタンスを打ち出し、IMFと交渉し、金融危機に対処していた。 1998年10月6日から1999年1月末まで、FSB副長官、経済保安部長(FSB局長プーチンに引き立てられた)
1999年4月16日 FSB第一副局長
1999年8月 6日 プーチンがエリツィンの後任となることを公表
1999年8月 9日 FSB局長代理
1999年8月16日~2008年5月12日まで-FSB局長
1999年9月30日~2008年5月ロシア連邦加盟国の治安機関(SORB)理事会議長

プーチンの歩みの確認

1999年5月頃、エリツィンの大統領の座を受け継ぐ交渉を始めていた
1999年8月~12月プーチンは首相就任
1999年12月31日-2000年5月7日プーチンは大統領代行
(そういえば、権力移譲につきプーチンはエリツィンに免責その他の特権を付与してましたね…)
プーチン大統領第一期(2000年から2008年)

パトルシェフ(2000年~)

1999年11月14日~2001年4月25日、政治的過激主義との戦いに関する大統領委員会委員
1999年11月15日~ロシア安全保障理事会常任理事
1999年11月20日~テロ対策委員会副委員長
2001年1月~2003年8月-北コーカサス(黒海とカスピ海に挟まれた山がちな地域)テロ対策作戦作戦本部長
2007年 2014ソチ五輪の準備評議会評議員
2008年 5月12日 ロシア安全保障会議書記(2018年6月22日再任)
2009年、「北コーカサス地方テロ対策に邦保安局員の特別基礎訓練」を開発した貢献でG・K・ジューコフ元帥賞を受賞
FSB長官時代、新しい貴族制度(非貴族:ネオブルズール)を創設しようとした

注:長老=長男

2006年には政治評論家たちからプーチンの後継大統領候補の一人として名前が挙がったことがある。 2016年1月21日 リトヴィネンコ暗殺事件について、暗殺はFSBの元職員によって実行され、パトルシェフとプーチンによって個人的に「承認された可能性が高い」と英国裁判所は公表している

2018年4月6日、プーチンに近いロシア出身の17人の高官と7人の実業家の一人として、米国の制裁リストに追加された。
2022年2月、米国はパトルシェフとその息子たちに対して新たな制裁を課している 二人の息子がおり、長男は現在44歳ガスプロムの役員。 次男は元FSBでガスプロム・ネフチの役員

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