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試される瞬間

 電車が通勤手段だ。公共交通機関を日常にしていると『袖すり合うも他生の縁』ということがよくある。朝夕の通勤でいろんな人と“縁”を結ぶ。

 時には不機嫌なおばさんに怒鳴られたり、歩きスマホしている若い女が、ぶつかりそうになったのに、舌打ちしてこちらを睨らんできたり、あまり歓迎できない縁もあるが、足を踏んでも踏まれても、それはまぁ『他生の縁』と思えば、少しは殺伐とした気持ちも慰められる。


 袖すり合ううちに、時折“試される瞬間”に出会う。
 もう随分前だか、お気に入りのラーメンを食べに、JRから阪急に向かって歩いていると、数メートル前に白い杖をつく小柄な中年男を見つけた。

 『歩くの速いなぁ』と男を見て思った。こちらは元来ゆっくなので、少し歩みを速めても全然追いつかない。

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少し目を閉じてみた…。

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歩けない
歩道が狭い
恐怖心で
道がグニャグニャに感じられる

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 目を開け顔を上げると、ちょっとの間に男は随分先を行っている。
 横断歩道に差しかかればきっと失速するだろうと思ったが、距離は縮まらない。せわしく杖を地面に這わせながらどんどん行ってしまう。


 男を追いながら思う。『なぜボタンを押したのだろう?』

 駅であきらかに右脚に難を抱える老人が、杖をつき急いでエレベーターに向かって来た。わかっていたのに「閉じる」のボタンを押しホーム階に上がった。

 急ぐ理由は何ひとつない。乗る予定の各停は発車時刻に余裕があった。老人は一本早い快速だったかもしれない。

『視界に入っていたのに、なぜ一人で上った?』


 とうとう白い杖の男を見失った。『あれっ』と思うが、どこにもいない。一本道で見失った男は探しても二度と見つけることはできなかった。

 電車で通勤し、人と袖すり合う。繰り返す毎日に“縁”はその場限りで、そしてその瞬間に試されるものかもしれない。失ってしまえば二度と取り返しはつかない。

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