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0地点

 ボクシングはいつもどこか“ピリッ”としている。やっている人もだが、ボクシング自体に特別な“ピリッ”がある。

 自分がやるまで気付かなかったことを、経験のない人に想像してもらうのは困難だろう。しかし、その“ピリッ”が本物とそうでないものを峻別し、ファンの狂熱をかき立てると思っている。

 さらに“モヤ”っとした話だが。練習を始める時、バンテージを巻きながら、こころの中に「0(ゼロ)地点」を探すことがある、いまここにいる理由を見つけたい。

 こころの「0地点」なんてボクシングの“ピリッ”以上に説明困難だが、「ゼロ」だから何も無く、「ゼロ」だから原点のようなものと言えばいいだろうか。
 あえてそこに印象を重ねるなら、そこは陽も差さず、なにも育たず、灼かれてひび割れ、凍ってすり減り、どんどん“ちびていく場所”ということになる。

 過去をまさぐれば、高校を卒業したあと、学びも働きもせず、通天閣の足もとを随分長くほっつき歩いたのも、コイツのせいに違いないと思う。


 話は変わるが、かつて『タコ八郎』というコメディー俳優がいた。本名を斉藤清作といい日本フライ級の王者だった。
 写真のような風体なので外見のインパクトが強い。しかし、それ以上に人生は独特で、テレビドラマ化されたことがあった。

 もう何十年も前の話で、記憶も定かではないが、うっすら覚えていることがある。それはタコ八郎が泥酔してストリップ小屋に入り、ダンサーのステージに乱入する。怒った客が「おまえ何様のつもりだ!」と怒鳴り「この有様です」と小さくつぶやく場面だ。

 たしかに“この有様”というのが、浮かぶ瀬のない人の全てを物語るようだった。

 「0地点」もいわば「この有様」のひとつであって、裸の女の横で正座する情けない酔っ払いと、説明できない場所で通底する何かがあると思うのだ。

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