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【ひとりごと】自分を好きになること、こころを灯すもの。

過去の記事で書いた通り、私は小さいころからコンプレックスの塊だった。

好き:嫌い=2:8くらいまで落ちたこともある。消えたい、なくなってしまいたいと願う方が多くて、まあまあ短期のひきこもりと軽いうつを患ったこともある。

ただ、自分が嫌いという中で、2割の強い「好き」があったのは確かだ。

元気に挨拶したらほめられたこと。
図工でほめられたこと。
音楽の授業で歌・声質をほめられたこと。
理科で「なぜ?どうして?」はとても大切だといわれたこと。
委員会で作業マニュアルを手書きで描いたら、先生に褒められたこと。
その先生からいただいたクマのマスコットを大切に持っていること。
何もなくても想像力と工夫で過ごせたこと。
お金が少なくても楽しめる方法に満足できたこと。
本とポケモンとゲームが逃げ場でよかったこと。
楽しく農村体験を企画できたこと。
行事の手伝いに行って、自分のできることがよいものだとわかったこと。
田舎に一人で生きてきたこと。
自分の今までの選択に後悔がないこと…。

こうしたいい記憶の積み重ねが今の私を肯定できていると思う。私はこれらの記憶を「消えない記憶の薪」と呼んでいる。
記憶の薪を灯せば自分の心を温められるからだ。今では回復して、好き:嫌いが6:4くらいになった。要因として、環境と人付き合いを変えたこと、年齢を重ねていい記憶の薪が増えたことが大きい。

大人はいい、子どもの時よりウンと自由になった自覚がある。

逆にマイナスの記憶の薪もたくさんある。
いじめられたこと、暴力をふるわれたこと、無視されたことなど。こういう記憶は繰り返し灯しやすいので、どうやって火をつけないか?機会を少なくしていい記憶の薪を集められるかが重要だ。有効なのは日記など物理媒体で記録すること。記憶はいいもののほうが消えやすく、悪いものが残りやすい。

そうした部分では、今の私に必要なのかもしれない。私の性格柄、書くのは好きだけど思考スピードが追いつかないため、字を書いて日記をつけていない。今はパソコンのメモに残している。

ところで、あきやせんせいのツイッターで「JJGらしさは考えなくていい」「自分らしさを」と全体アナウンス?があった。これはその通りで、TLから美しい「JJGらしさ」を見ているのは、まぎれもない自分自身だ。

自分にあるはずのいい記憶の薪を探さずに、隣の芝は青い(他人のいい記憶の薪ができているさまを見ている状態)になっている。この状態から脱するには、粛々といい記憶の薪、つまり思い出を掘り返えしていく必要がある(もちろん、記憶以外にも表現物や自分の身体の造形、好きなものと向き合う必要がある)。精神と時の部屋、切実に欲しい。

私の場合は、いろんな要素を出しまくる→似たものをグルーピングすることが多いが、最近学んだ「統合(出た要素を分類し、優先度順に合わせて1文にまとめる)」「過去・現在・何もしない未来・理想とする未来からの視点」で考えてみようと思った。ただこの手法は仕事にかかわることなので割愛する。仕事でいろんなワークショップや講座を受けてきたが、こういうプライベートなことにも役立つとはちょっと得をした気持ちになる。あきやせんせいとリアルでお会いする前に、ちょっとでもやってみよう。

最後に、私を形作るものは自分を好きか嫌いか、そして好きになる要素のいい記憶の薪が大きく割合を得ているのではと考えている。

私が、あなたが大事にしている思い出はなんだろうか? 

きっと今日も明日にもできるかもしれない。

これからも一つ一つを思い出して自分の深堀を続けていこうと思う。



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