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世の中の仕組み

人間社会はつくづく上手く調和している、と思う今日この頃です。

社会は仕事を分業することで、様々なプロフェッショナルがいます。
物を作る人、物を売る人、物を運ぶ人、などなど、他にも挙げればきりがありません。

何故、分業するに至ったかは、人間には得手、不得手があり好き嫌いがあるからです。

一人が全ての業種をしていた時代を思い浮かべれば、古代から中世ではないかと思います。自給自足を基本的にする社会では、狭いエリアの集落にとどまって、人口も増えません。

人類が存続し続けるためには、人口を増やす必要があり、そのためには仕事、雇用も必要です。

社会が分業するに至った理由は、単刀直入に言えば時間の短縮です。一人が1日にできることは限られています。しかし、それぞれが専門的な仕事をすれば、社会が効率良くまわります。

現代に生きる私たちは分業が当たり前で、効率性など考えもしないと思います。

このようなことを踏まえた上で、人間の能力の上下、格上、格下のバランスも社会を築く上でとても重要です。
勉強が好きで成績の良い人がいなければ、新しい物を作れないし、人材を育てる良き指導者はいなくて、社会の発展はあり得ません。

しかし、逆に勉強が嫌いで苦手な人がいなければ、今ある様々な仕事が生まれなかったという側面があります。

具体的には、床屋さん、ラーメン屋さん、寿司職人や漁師など社会を支える仕事は、分業社会が生ませた産物と言えます。

仮に全ての人が勉強ができて能力が高ければ、論争の応酬がまきおこり、何も決断や実行を起こせなくなると思います。

人間社会は2、6、2の割合で出来上がっているそうです。良く出来る人が2割。普通に出来る人が2割。全く出来ない人が2割。

私が着目するのは、良く出来る人の2割と全く出来ない人の2割が中間層の6割を支えていると思うのです。

会社でも、営業成績が良い人は少数です。悪すぎる人も少数です。悪すぎるとその会社からはじき出されます。私も2度そうなった過去があります。だから、ある程度普通の成績を保とうと努力します。

その時に目標とするのは、成績上位者です。しかし、普通の成績を保てている裏側には、下位の人たちに対する優越感があります。

言うなれば、優越感と劣等感の渦の中を葛藤を抱えつつ生きていると思います。
だからと言って、劣等感を抱いている自分を卑下する必要はありません。

人にはそれぞれの価値観もあれば、生き方もそれぞれが違います。

能力の大小は社会形成上は必要ですけど、一人の人間を作る意味では関係ありません。

そして、多くの人はその事を理解しています。

世の中の仕組みは、こうした能力主義や個人的価値観のバランスで調和していることは言うまでもありません。

しかしながら、私個人的な理想を申し上げれば、現代の日本社会は生きづらさを感ぜずにはいられません。

経済的問題、マルクスの言う資本主義の限界、それに伴うそれぞれの個人主義。
みんなが仲良く歩みよれる理想の社会は、夢の楽園でしょうか?

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