統合失調症と診断された母:①小2の時に気付いた「うちのお母さん、おかしい」

小2の秋のある夜。1階の廊下で見かけた母に声をかけずにいられなかった。

「お母さん、大丈夫…?」

廊下の天井のオレンジ色の灯りが私達を照らしているけど、お母さんの後ろには電気が消えて真っ暗な玄関がある。まるで出口が閉ざされたような暗さだった。
あの光景が忘れられない。
「うーん…」と苦しそうにうなだれた母は、背後の玄関の暗闇に飲み込まれるようだった。いや、あの漆黒の暗闇と母は一体のようにすら見えた。
私は明るく照らされた階段を登って2階に行こうとしていたところだった。
お母さんは、違う世界にいるの?

お母さんが、この数ヶ月おかしい。
なぜ、お母さんはいつも苦しそうな、悲しそうな顔をするようになったんだろう。いつも眉毛は八の字、口はへの字だ。
なぜ、お母さんは喋らなくなってしまったんだろう。「うーん…」か「うん…」しか言わない。
お母さんが変わってしまった。
なんでだろう。
どうしたんだろう。

お母さんの様子が絶対変だ、と確信して声をかけたあの夜から11年後、私が19歳の時、お母さんは統合失調症と診断された。
私がお母さんの様子の変化に気付いたのは8歳の時だったが、後に父から聞いたところによると、お母さんは私が幼稚園に通い始めた頃からおかしくなり始めたらしい。精神科に初めてかかったのは私が小学校高学年の頃だったことも、19歳の時に父に知らされた。

お母さんは、いつも和室の奥の座椅子に座って、虚空を見つめているか、目を閉じているか、眠っていた。眠っている時だけ八の字の眉毛は穏やかになり、への字の口もぽっかり開く。
お母さんが私達子供達と目線を合わせることはなかった。お母さんがどこかの方向から無言で私達をじっと見ている時がある。視線を感じてお母さんの方を見ると、お母さんは目を逸らす。
小1以降、お母さんと親子らしい会話ができたのは、中3の4月に一言だけ。あの時、お母さんが一瞬だけ「母」になった。それが最後だった。

ずっと友達たちのお母さんが羨ましかった。みんなのお母さんは笑うし、みんなお母さんと会話ができる。みんなのお母さんは生きてる人間だった。なんで私のお母さんは違うんだろう。

お母さんはいつか普通に戻るんだ、とずっと本気で信じていた。そして、22歳の時、やっと分かった。私のお母さんは「普通」になることはないということを。

統合失調症の親の元で育った人と出会うことが本当になく、共有できる人が兄弟しかいないので、これから母親のことを書いていこうと思う。

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