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ノスタルジアと色々

ノスタルジックな気持ちになることが多い、最近。なぜかと言うとわからないよ、いつも「曇りで日差しを見てないのは二週間だからね」と冗談してるけど、本当の理由はわからない。
いつも友達と出かけた後にこの心の変な暖かさを感じることに気付いた。部屋に上がった途端に、友人の笑い声と果てない世間話とも深い話とも、それが消えると言いたいわけではないけど、ただ記憶になる。そこで、私は沈黙に沈んでしまう。

なんでだろう、なんでだろう。

この頃聴いている音楽はたぶんその気持ちを強めるのだろうかな。音楽の話を出すのは、聴いている音楽は気分に影響を与える、あるいは気分に影響を受けるからだと思う。短くても、人生と自分の過去を振り返るのはただ音楽のお陰だろう。では、この頃ガゼットのれいたさんのことを大抵考えているだけあって、ふとガゼットの音楽を聴いてしまう。なんか無意識なことになってきた気がする。
ガゼットは人生の半分余りに私と一緒に歩いてきた。この進路を決めて進んでいる理由がガゼットのおかげだと言うのは過言ではない。父親に近い存在だと思っている、五人の全員は。ガゼットを通して日本音楽界を発見したりして、ヴィジュアル系の美術とその個性的な根拠思想、その範囲、その叙情的美に惹かれて、自分の十一歳の眼の前の世界は変えていった。(あるいは私はその世界の前では変えていったと言った方が正しいかな)
私は中学生時代、家に帰ってインタビュー動画を見たり音楽を聴いたりする時間だけ待ちきれなかった。家でひとり時間は日本バンドを調べたり、聴いてみたりする時間になって、根気強く歌詞を空で覚えるようにしていた。
今更振り返ると、懐古趣味の気持ちになってしょうがない。この話をするたびになんかおばあちゃんに聞こえるとわかっているけど、より頻繁にその幸せな日々の思い出に耽ってしまう。ガゼットのことを思うと、最初に眼に浮かぶイメージはあの2011年の蒸し暑い夏、イタリアの真ん中のどっかの故郷の祖父母の家に過ごした夏、独りぼっちの夏。そこで、先に両親にガゼットのベストのCDを買ってもらったので、そっちのステレオをつけて、繰り返して流していた。数え切れないほどCDを流したので、「REGRET」をはじめて歌詞を読めなくても覚えられた。ルキさんが言ったことがなかなかわからなくても、その言葉はまだ知らなかった心地を呼び覚ました気がした。当時、知らなかったこと、経験しなかったこと、世界の分からなかったことまだ多すぎた。そして、成長しつつ、その音楽は流れ続けた。
中学校を始めてからと言うもの、彼らがずっといた。言うまでもなく、ガゼットだけ聴かなかったと明らかにしたいと思う。でも一つのわかったことは今、13年ぶりに、このように自己内省をしようと思うと、それだけを思い出すこと。当時、その退屈の日常生活から逃げたかったし、その環境は活力を失わせにかかったし、その家族の一員と仲良く出来なかったのである。その時の日記「早く成長したい!早く十八歳になって一人暮らししたい!」と念仏のように書いていた。何はともあれ、ガゼットがいた。そのCDを通して現実逃避をさせたものだった。

それはノスタルジアの短所だと思う。私の弱点。しばらくすると、最も愛しい思い出の一つにさえ付ければ嫌な思い出も、どんなに大変なものだったにせよ、どれだけその状況をせっかく我慢したにせよ、どれほど早く終わって欲しいと願ったにせよ、元々の呪詛的力を失うことがある。
人間的な能力だね、これは。どんなにロックダウンが嫌いになっても、それもたまに「あぁ、時間を少しだけでも戻したらいいなあぁ」と思い出したことがある。友達も何度も何度もこういう話を語ってくれた。皮肉なことに、こんな告白はいつも懇親的なシチュエーションの中にされる。喫茶店であれ、うちの部屋でのんびりしてマテを飲んでいる間であれ、友達の家で晩食を食べている間であれ、共通点は落ち着いている自分達の様子。
「ねえ、たまに高校生時代に戻りたいものだよな。」
「そう!私も、まあ・・・高校生時代じゃなくて、学部のとき。2019年なんか完璧だろうねぇ。」
「私だったら知らないけど、今ちょっと落ち着く時間だけが欲しいなあ。コロナ禍に戻りたくないけど・・・」みたいな話を聞いた。
「でも、過去に戻りたいって?」と私が聞いた時、「そう。」とみんなに答えられた。
懐かしさには嫌な思い出を再認識させる何のきっかけがあるのか?
本当は答えが見つからないと思う、実際の科学的な研究の解説を除いて。実は科学上はあまり知らないから、この話を出すつもりではない。ノスタルジアの化学式なんてあるのかな?
憎々しい日々も愛しくなれる方法なんてあるのかな?私はそう思う。性格の問題だけじゃないね、純粋に人間的な実力じゃないか。一般的に年を取ると、ちゃんと世の中のことを意識したり、体験したりして、誰でも「若い頃に戻りたい」と考えることが一度はある。もちろん、若く見えるという話なわけではなく、ただあの全てが易しい頃に戻る気持ちに圧倒されるということだろう。私なら、日常生活と将来性はどんどん重く、暗くなってきた。人生の都合はどうだろうかなとそのような疑念と不安定と、耐えられない一定の圧力は確かに助からない。実は、一人じゃないと感じるんだけど、一世代と有耶無耶な輪郭のある事態を共通している感覚がある。そして、五里霧中の場合は、往年を振り返るに越したことはない。少なくとも、私はいつもこのような状況を立ち向かっていた。また、現実逃避。また、安穏の一瞬を頭だけでも味わうこと。
現在のように暗中模索の場合には、幸せな日々、歩いたところ、友達、家族、愛おしい動物、恋人と過ごした時間、経験したこと、笑った一瞬といった胸を温めることを慰めとする。
両親の世代もこの絶望感を感じたことがあるのかな。

でもどうしてだろうかな。ちょうど今聴いている曲はブラジルロック歌手のカズザの「O Tempo Não Para」。本当にすごい曲なんだけど、ちょっと歌詞を読んでみたら、社会とマスコミへの批判なのでこの懐かしさの話にあまり関係ないと思うけど、曲名は考えさせた。ポルトガル語の「時間は止まらない」。1988年にカズザがエイズの影響で死去に向かうところ、既に亡くなったかのように彼の様子について記事を書いたり、ニュースを放送したりしていたブラジルの国立テレビと記者に反対してこの曲を書いた。やっぱり、彼も「時間は止まらない」ということを慰めとした。間違いなく、苦い結末じゃないか。正に本当に時間は止まらないね。彼もきっと過去を振り返ってそういうことを意識したんだろう。しかし、曲には恋しい気持ちを含むとは言えないから、懐かしい曲じゃないと思い込んでいる。
とにかく、「時間は止まらない」という認知に思い至る。時間が止まらないから、将来が怖いから、私たちはどうなるかわからないから、過去にしがみついてならない。
時間が止まらないだけあって、何度も何度も甘い記憶を再生する。
時間が止まらないだけあって、今この場で自分の成り行きをできるだけ催すべきじゃないか。
時間が止まらないだけあって、現在を楽しめなくなってきた。

ところが、どうしてだろうかちゃんと説明できない。
個人的に思うと、人生は怖い。私はどんなことでもコントロールしたい性格があるから、コントロールできない世界が怖い。でもそれはあるあるね。
反面、過去に残されたことをコントロールできる。記憶は書き直すところもある、再認識させることもある、最初から異なる(正しいか間違っているか構わない、この場合は)読み取りに至ることができる。自分達は自分だけの記憶の流れで自分のストーリーを制御できる。こうして自分を誤魔化して惑わせる危険もあるけれども、この場合の話じゃないと思う。それを避けるように、友達と話し合って、違う視点を受け入れる必要がある。でもそんなに簡単でもないね、やっぱり。未知の世界に向かって、自分はただ身近なこと、よく知っていることを憧れるのは人間性の一面しかないと思わないか。そしてその身近なことにしがみついてしまう。逃がせたくないと思ってしまうね。そのときに感じたことはいつもう一回感じるのかなと考えてしまう。もう二度と感じられるのかな。特に先が見えない状態に遅かれ早かれ臨む。
でも、この世界には動き続けなくてはいけない、泳ぎ続けなくてはいけない。成長するより他はないね。この素質はギリシャの神に羨ましがっていたと忘れられないね。熟成とは人間の一番貴重な特性だから。
時間が止まらないだけあって、私たちは止まることができない。
時間が止まらないだけあって、過越方を考えすぎるのは意味がない。

しかしノスタルジックだったり、センチメンタルだったりするとき、周りの人に浅くふさげられることもある。「いつも過去のことを思っているね、あなたは」、「いつも過去の話をするね、大丈夫?」と言われた。私はそんなに気にしないから、傷付かれない。実は、何もかも強く感じられるからこそ、多情多感の人として認められるのはいいと思っている、勘違いな訳じゃない。よく振り返るとか、深く自己内省することはめんどくさく思うことじゃない。自己内省は少しだけでもしなければ、一人前に育つわけがない。それ自体は一番大事なことじゃないかな。恋しいことも後悔することも同じくらい抱く必要がある。どちらかと言えば、せめて体感したこと、新しく積んだ経験を生かして前に進めるんでしょう。

結局、私は絶対に時間を戻しすまい。高校生の姿に戻りたくなくて、今の25歳の自分の熟成を好む。熟成のおかげでノスタルジアのほろ苦さを味わうことができる。今さらのことをいつか懐かしく思うんだろう。さらに、熟成とともに、人生が完全にコントロール出来ないという意識も生じる。それでもいいとついに理解できる。
時間は止まらないから、少しだけでもノスタルジックな風に音楽を聴いたり、深呼吸しながら空を眺めたりしてもいいね、動き続け、成長し続ける限り。


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