生きてることは、物語じゃないから

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思想が必要なくなった。だってもう女性声優のライブとギャンブルがあるのだから。それでも我々が思想を渇望するのは、財力がなくて、セックスの相手がいなくて、暇を持て余し、つまるところどうやら我々には才能がないからということである。

シャニマス哲学、とはただの言葉遊びなのだろうか。それはそうなのだ。きっとこれは90年代のオタクがしていたオタクコンテンツを現代思想で解釈するというものの延長線上にある。いや、どちらかといえばきっとオタクコンテンツを現代思想に転化する運動と言った方が正しい。

二次元の美少女というレンズを通してしか現実を認識できないほどに弱ってしまったオタクを救えるのもまたどうやらその二次元の美少女達でしかない。そんな男性中心主義的な傲慢さに憤慨しながらも冬優子の太ももが性的すぎることにネギをかじり空を見上げシルをこぼす。


「俺が本気でお前なんかと付き合うなんて、あり得ないだろうが…」(いたいけな彼女)


どうしてあんなに美しい少女達が、キモオタのことを好きになってくれるのだろう。こんな自己中心主義的な解釈が許されていいんですか!?!?お前が!!ダイワスカーレットとうまぴょいできるわけないだろ!!

シャニマスのストーリー・ストーリーはそんな話だった。シャニマスは基本ガチャをしてカードを集めることでストーリーが解放されていく。つまりここで行われているのはオモコロチャンネルにおいてダ・ヴィンチ・恐山が言っていたように人間の端を知ることによって逆にリアルな人間像が浮かび上がるというシステムである(これは現実でもそうであるのだろうけど)。

すなわち、結局我々オタクはガチャで得た断片的情報を元に編集しアイドルがPに対し恋愛感情を抱くといった二次創作を繰り返している。これはストーリー・ストーリーでテレビ側が行った劣悪な編集と一体何が違うのか。

生きることは生活でない。寧ろ読書やギャンブルといった我を忘れている時にしか我を省みることができないと気づいた時、「生きてることは物語じゃないから」がまた違った様に見えてくる(これは西田幾多郎っぽいけど)。


凛世さん、あなたは二次創作でNTRされてましたけどいいんですか!?公式も公式でなんで凛世をそんなにPのことを好きに描くのですか!?!?

「___________」

はい、そうなのです。最も少女を不幸にできる人間が最も少女を幸せにする方法を思い付くのです。


私は逃げた先にシャニマスがあった

伊藤さんとツさんは目の前にシャニマスが現れた

私は努力が嫌で嫌で二次元の女の子にヨシヨシしてもらうために逃げて来た人間なのだからそこで闘うことはやはりできないだろう(というか私が闘うような人種ならまずシャニマスには訪ねてこない)。



「会いたい__会いたいな…」

ある晩Twitterを見ていたオタクは偶然その二次創作を目にする

オタクはこう思い込んだ…きっと彼女は別の誰かを想っているのだと…

そう思うと、たまらなかった

それでオタクは、彼女から物語を奪うことにした

_いたい…

ああ、私が博士ならば自身を少女βに改造してしまうのに!!

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