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パパが残してくれたもの。後編


後編は北アルプス🔍️検索で出てきた槍ヶ岳。
父のガラケーで撮ったアルバムに同じ景色がたくさんありました。

みんなのフォトギャラリーより。
ありがとうございます♡

***


2016年6月8日。
9月のお誕生日を待たず74歳で最期を迎えた父のことを思い出せるだけ思い出して、書いておきたいと思います。
生きてたら81歳、気付けば逝ってしまってから6年も経過してしまったけれど今も私のなかで生きてるパパです❤️

前編は幼少期~会社倒産まで。


なぜ幼少期のことを、そこそこ知ってるかというと、私がパパを好きすぎて、いつも聞いてたからだと思います。

では後編、お付き合いくださる方に感謝して書かせていただきます。

そして、いつか私が(50年後くらい?)に逝ってしまったあとで子供たちがジイジのことを振り返れるように。



パパが残してくれたもの。後編


倒産して、どうなったか。
父は直ぐに仕事を探しました。

でも、、、当時まだ自己破産って珍しくて
戸籍があるだけマシと思えるくらいの社会的制裁を受けていましたので

就職は出来ませんでした。

先のことは大丈夫だ、しばらくは頼む。

そう言って探してきた仕事は保険のアジャスターでした。
アジャスター試験というのを受けてみると言うのです。

私以外の家族に言ってる様子がなかったため黙ってましたが、どうやらパソコンが必要なようでしたので、購入資金を援助しました。

そんな頃ママと離婚になりました。

援助したはずの資金は数年後、3倍くらいの現金で返してくれました。プライドだったのかなぁ。嬉しかった。

会社に行く日もあったようですが基本的に家で仕事をしているようでした。

仕事も軌道に乗ってきた頃、山に登って良いか聞いてきました。

倒産後から登山の復帰はしていて、サークルにも入り山に登ってるのは知ってたから
何の許可?と思ったら北アルプスでした。

縦断するという、私には意味の分からない事でしたが、良いよ、と言ってやりたいことをやってね。と伝えました。

危険な登山の場合、緊急連絡先と、遭難したときの保険の受取人、捜索の停止依頼先として私のサインが必要で聞いてきました。

それを先に言ってよ~と思うけど、先に言われてもOKを出したとは思います。

60を超えてから、毎年北アルプスにアタックしに行く父の体は年々強靭になり、若返り、なんと10歳年下のパートナーと出会い、その方と2回結婚します。

ん?2回結婚します~?

はい、そうなんです。
1回結婚して、離婚して、再婚して、また離婚しちゃったんです。

人生は色々ですよね(⌒‐⌒)

さすが娘の上をいくバツ4の父上。


娘の私から見ても、中身の格好いい男でした。
私の友人にもファンがいて、loveパパと話したい~って、本当にお茶に行ったり、男の子の同級生ともお酒を飲みに行ってたようです。

コミュニケーション能力が高めだったと思います。

バツ4となり、更に独身生活を謳歌してるな~という数年後、2014年の父の日。

我が家に呼んで、孫たちと夕食。
なんか、急に痩せてる気がしました。

「パパ、痩せたよね?」
「おう、最近トレーニング強化してるからね」

ん~?そういう痩せ方じゃないんだよね、そもそも痩せてるのにトレーニングで痩せるのは変じゃん。とか何とか言いました。

「はーいはい、でました、loveの心配症シリーズ」
とふざけられて、その言葉で孫たちもシリーズ、シリーズ、って笑

私も笑って、気のせいかな、なんて思っちゃった。。。

その日は泊まっていき、翌朝、起きたらもう居なかったのです。
電話したら「疲れてるのか、眠れなくて明け方に帰ったよ」とのこと。

いや、やっぱり絶対おかしい。

確かめたくて、翌週末も食事に誘いました。

食べれてない。
好きなものを作って出してるのに、箸が全然進まない。
お酒はいつも通り呑むから、あっという間に酔ってしまい、寝てしまいました。

が、やはり明け方帰ろうとする。

捕まえましたよ。そんな気がしてたから。

体調を聞けば、便秘してるだけだという。
でも、でも、なんか変だよ、絶対に病院行った方が良いって❗と強く言いました。

観念して行ってくれて、大腸がんが見つかりました。

電話で「がんになってたぞ。love凄いな」って。「もーどういうことー」ですよ。
軽いんだってば、言い方が〰️っ。
「ガーンってなった?」って聞くし。。。

直ぐに治るのかな、って思っちゃうじゃん。

兄は東京で会社員、近くに住む私が
説明を聞く家族ということになります。

聞きに行くのも、入院の説明か何かかと思ってました。だって
「今度は家族と聞かないといけないルールらしいから来てよ~」みたいに軽くいうから。


本人は、もうこの時点で大腸がんは進んでると聞いていて、転移の検査結果だったんです。


並んで聞いた結果は
「心臓、肺、以外の臓器に転移してます」
でした。

「ガーン」

って言ったんです。父、壊れたのかと思いましたが、ニヤッとして言うから
あーもう、覚悟してここに座ってるのね、と思いました。

私はそこから説明聞けませんでした。
ポカーンとしてしまって。

末期のガンで、全身ガンです。
入院しても、オペも、意味がないと

「手遅れってやつですね?」と父が念を押したら、お医者さんが頷きました。

そして「お酒飲んで良いですか?」って聞くんです。

「飲んでも飲まなくても、同じです」と言われ
「では飲みます」と何の宣言~?
宣言通り逝ってしまった前日まで呑みました。

余命は長くて2年。

守る必要ないのに、段取りのリョウさん、ちょうど2年目の6月に亡くなりました。

要介護1
になる前日に、最後の抗がん剤を入れるために、初めて入院したんです。

そして、その翌朝、逝ってしまった。
眠るみたいに。
最期の時が突然すぎて、だれも間に合わなかった。けど会いに行ったお顔は笑ってました。

「オムツは嫌だよ〰️」って言ってたんです。

私はオムツが嫌で逝ってしまったんじゃないか、と本気で思ってます!

「俺が最後の武士じゃ〰️」って言ってたから、そう思うんです。

パパにまつわるエピソードは沢山あって、これからも書いていくと思います。

例えば、良かった時代の家族会議とかw


パパが残してくれたもの。

命、大和魂、ポジティブマインド

たくさん残してくれたけど、

自由な時間


これが残してくれた最大の遺産だと思いたい。

生きててくれたら見せたかったものは沢山あるし、話を聞いてほしいとも思う。

けど、親が生きてたら得られてない自由さが、私には残された。と思うのです。

loveに介護は無理だろ。って笑って逝ってしまったんです、きっとそうだと思うことが
生きる力と喜びに繋がるから、そう思う、思いたい。


パパありがとう。


これを私がパパのところに逝ってから読む皆へ。
リョウさんは本当に立派な男でした。
皆もこの遺伝子がそれぞれ分配されてるから、絶対大丈夫。明日は明日の風が吹くよ~♪

パパがいつも言ってた言葉より




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