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虚と実のはざまで

鍼灸師、時々専門学校講師をしています。仕事においてまた日々の生活の中で思いついたことや気づいたことなど、肩に力を入れずにゆるぅく書き記していきます。

タイトルの虚と実は東洋医学的な意味での虚実ではなく、ここでは虚(目に見えていないもの)と実(目に見えているもの)とします。鍼灸はまさに虚と実のはざまにある治療法だと思います。

十数年勤務していた会社を辞め、鍼灸の専門学校へ入学したとき当たり前のように経絡とか経穴(ツボ)が教科書に書かれており、とにかく仕事をするためには必要な専門知識なので覚えなければと学習しておりました。

が、講師の先生を含め学生も全員その経絡、経穴とやらを見たことはない!

見えないものを見えているかのようにして当たり前のように授業はスタートし、続いていくわけなのです。

もちろん生理学、解剖学、病理学、公衆衛生学など基礎医学も学ぶのですが、鍼灸の基礎知識のなかでも専門科目である経穴、経絡については見えているものではなくはっきりと見えていないものを扱うわけです。

当然解剖的にみえる血管や神経などはわかり易い。見えていないものを見えているがごとく授業は進んでいきます。

誰も見たことはないのに・・・・・!?(あくまで私見ですが、昔ははっきりと見えている人がいたのだと思います。そうでなければこのような医療体系が存在するはずがないと思っています。)

「はい、ここに見えているこれがツボですよ~とかこれが経絡ですよ~。」とか見せられるものではないのです。

そのような見えないもの(虚)と見えているもの(実)に片方ずつの足を踏みしめて立っているのが我々鍼灸師の立場です。

かといって現代医学もすべてが見えているというわけではないのですが・・

たとえば こころ

こころはその所在がどこにあるのさえわからないけど、当たり前のようにこころを感じているはずです。傷ついたり、満たされたり、と

ある人はこころは脳だと言い切るし、またある人は胸を指さしてこころはここにあると言う。

東洋医学的にいうと、こころは”まるごとのあなたそのもの”ということになります。心身一如です。

こころと身体は切り離すことはできないのです。

話を元に戻します。

ツボだの気だの経絡だの・・・

見えないのだけど、わかるのです。

それを見えないものを扱っていると特別なことのように見えてしまうのではないでしょうか。

見えないものを相手にしているほうから、見えているものはよりはっきりとわかり易い。見えているものを中心にみていると見えないものはわからないので得体の知れない、ちょっと近づきたくない、別の世界だと思ってしまいわかり難いのだと思います。

この微妙な立ち場にいるからこそ見える景色をもっと楽しみたいものです。




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