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宣言すれば、何にだってなれる、という話。

街で友達の車が止まっているのを見かけたので、今どこだ? とLINEしてみると、近くにいて、一緒に飯食わない? ということになったんですよ。

飯といっても、ピザだ。
ピザ屋は空いていた。
広い窓から梅の木が見えた。梅はもうとっくに花が終わって、ただの木立だ。
天気がいい。

僕はそれほど腹が減っていなかったので、ピザのほとんどを友達が食べた。
チーズがやたらと伸びた。

じゃ、またな、とかって、たいして話もせずに僕らはまた街へ散っていったんですが、なんか妙にほっこりする小一時間でした。

で、朝から読もうと思っていた『ロビンソン・クルーソー』をそれから読み始めたわけですが、主人公の「私」の無鉄砲ぶりが、もはや他人事とは思えず、お前はきっと失敗する、と父親や母親をはじめ周囲の大人たちにこんこんと諭される。

で、そのときはちょっと凹むし、嵐に遭うと、もうこんなばかげたことはやめよう、と思う。だけどまたケロっと無茶をしたい虫が騒ぎ出すんですね。

いや~、しかし、こんな出だしだったんですね。まだ、かのフライデーも登場していない、第一章です。それでももう十分、主人公の迂闊さがひしひしと伝わります。

しかし、彼が迂闊でないことには物語は進んでいかない。極端すぎるほどに迂闊でなければならない。迂闊さの極北でないと。いいですね。人の話を聞かずに迂闊だということにかけては、僕も負けてない気がするんですが、たぶん、彼の方が上手うわてでしょう。

昼に友達とピザを食べてて、マルゲリータにのってたプチトマトがチノパンに落ちて、血痕のように汚れてしまった。ピザソースとか、パスタソースの染みってほんと情けない。家に帰ったらウタマロでこすってみるか。つうか、それよりもまず、帰ってからの仕事の段取りだ。

ごはん
味噌汁
水菜とシーチキンのサラダ
カブリサル(豚ロースのネギ塩焼き的なやつ)
卵豆腐
納豆

玉ねぎを刻んで納豆に入れる。味噌汁にも入れる。味噌汁は豆腐とネギ。ご飯は1合炊く。カブリサルに塩糀をまぶしておく。
で、たぶん、違うんだろうけど、カブリサルに刻んだパセリを振る。

で、食べて片付けまで終わると、夜の9時になっているはずだ。村上春樹のように朝4時に起きて書くためには、夜9時にはぐ~すか寝ていたい。しかし、そういうわけにもいかない。村上春樹は何時に寝ているのだろう?

ふと思いついて『『不思議の国のアリス』の分析哲学』という本を引っ張り出してみた。
その9章がこんな内容です。

第1節 二人のふり
第2節 ふりの世界と現実世界
第3節 宣言する
第4節 同時に同じ場所にいる二人
第5節 自分自身との非同一性

見出しだけでもすでにワクワクしませんか? 僕はワクワクします。何かのふりをするのが大好きなんです。

で、自分は~だ、と宣言する。宣言しさえすればいい。

まぁ、なにかしらのごっこ遊びをしていた子ども時代は、口には出さずとも、宣言をしていたわけです。自分は王様だ、とか、海賊だ、とか、幽霊だ、とか。

もう何でもよくって、その時の遊びで必要になった役に、俺、今から〇〇〇な! と叫びさえすればよかった。

で、そんなことをすっかり忘れていたわけですが、この本で、哲学的に宣言することの効力が分析してあるんです。僕はこの本に出合えたことをほんとにうれしく思っています。

この本は、八木沢敬というアメリカの哲学教授が書いていて、可能世界論の中でも、「五次元主義」を唱えているそうですが、そこらへんは僕の頭ではもう彼方な世界です。
なんですが、なぜだかわからないけど、ワクワクする。

——唱えたらもう一つ世界が増える。

そんな簡単な総括はできないと思うんですが、そう書いてみちゃいましょう。楽しいから。
自分は王様だ! と宣言したらば、僕が王様である世界がひょこっと立ち上がる。
自分は海賊だ! も、幽霊だ! も同じ。なんぼでも言ってみることはできる。

でですね、今、何と言ってみたいかと考えてるんですが、どうだろ、自分は王様だ! がやっぱり最強ですね。やること山積みで、退屈してる暇がない。つうか、これって、ロビンソン・クルーソーと同じですね。すんごいサバイバル能力が必要になってくる。

それか、ドラマ『LOST』みたいなのを延々と続けるっつう遊び。仲間もいて、より複雑だしね。

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