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「回路」の2人がエモかった話

回路をVRCのみんなで見ました


比較的古い映画ですがインターネット黎明期の雰囲気や画面の端々から感じられる天然の懐かしさは今の世代に刺さると思います
新作の宣伝として公開するのは素晴らしい判断


この映画は二人の主人公を軸に話が進んでいくのですがそのうちの一人、大学生の川島亮介と彼が想いを寄せる唐沢春江との関係がとてもいい

中盤までいい感じだった二人なんですが、危ない状況だった所に川島が現れ唐沢を保護した後

唐沢は子供の頃から考えていた孤独や死後の話をするのですが川島にはあまり理解されずそんなことは分からないから生を謳歌しようと返される

物質的な繋がりでは解消し得ない孤独を抱え他者との精神の繋がりが分からない唐沢と「今を生きよう」や「一緒に暮らそう」と言う川島のすれ違い

エモーーーーイ。

ゲームセンターのシーン、唐沢のようなシルエットの霊を見る川島

それを無視して夜の街を走り唐沢の元へ向かう。

唐沢と川島は無人の電車で「行けるところまで行こう」とする

寄り添う二人、彼らだけの空間

しかし、電車は途中で止まってしまい唐沢は一人で下車する


この電車のシーンも何か示唆的というか同じく「行けるところまで行こう」となった船と同じだと思うんですよね

本当に行ったのが船で途中でやめたのが電車のシーンみたいな

というかどっちかって言うと逃避行?逃げるために行けるところまで行こうとしているというか

それが劇中では人が影になって消える怪奇現象なんですがそもそもこの現象が何なのかっていう話

劇中、唐沢は自室で 川島は開かずの間で霊と遭遇します

唐沢は自室で霊を認識し「私、ひとりじゃない」と呟き、霊に接吻をします。

「私、ひとりじゃない」とはどういうことなのか

作中で影になって消えた人間はその場で「たすけて たすけて」と繰り返し言うだけの存在となっているような描写があります

しかし、生きている人間はそれに対して何もできません

おそらく彼らはその場にとどまり続けるだけで誰も認識することが出来ない究極の孤独の中で永劫を過ごすのだと思います

川島が開かずの間で会った霊もそのことを話しています、以下文字起こし


霊「ながい」
霊「死は 永遠の孤独 だった」
霊「たすけて たすけて」
川島「知らねえよそんな事 俺には関係ないだろ」
霊「ながい 永遠の 孤独」
川島「お前は幻だ 俺は認めない 絶対に認めないからな 俺は死なんか認めない」

この後、川島はその霊が幻であることを確かめるために捕まえようとします

しかし、捕まえた霊に実態がありその顔を見て実在を認識してしまいます。

霊「わたしは 幻 ではない」


この映画の映像的な気味悪さと哲学的な部分が詰まった素晴らしい名シーンでした。

霊という存在が実在すると仮定してその死後の世界というものが他者との意思疎通ができない煉獄のような場所だとしたらそれは現実と何が違うのでしょうか

我々が認識している「つながり」というものは果たして本当に実在しているのか
他人と同じ空間にいる時にも同じように孤独を感じるのはなぜなのか

唐沢はずっと認識していても他者と「孤独」を共有することができませんでした、自分のことをとても慕ってくれる川島すらもそれを理解はしてくれません

しかし、唐沢は自室で「永遠の孤独の中で助けを求める霊」を見たことで自分が持っている孤独が自分だけのものではないことを初めて知ることができました
だから霊を見て「わたし、ひとりじゃない」と言ったのでしょう

現実と霊界の違いは物質的なものだけで孤独というものがどちらの世界にも理として存在しているというのがこの映画のテーマだと思います


しかし、川島も開かずの間での霊の出会いによって霊の存在を認識していまいます
私はこの霊というのは死、あるいは孤独のメタファーだと思います
つまり、現実に生きていた川島は霊との出会いで本当は人間という存在は絶対的に孤独であるということを認識してしまった、というシーンであると考えています

それが川島にとって良かったのか悪かったのかは分かりません、しかしこの映画が描いているもう一つのテーマは「不可逆な変化」だと思っています

まず、この物語はインターネットを通じて呪いが広がっていくことから始まります、これはインターネットという科学技術が一度世に出れば世界はインターネット以前に戻ることがない、科学技術の不可逆的な変化そのものです
そして怪奇現象の原因となった現世と霊界をつなぐ「開かずの間」、これも作中で「どれだけ単純な装置でもシステムが完成していまえば嫌でもそれは動き出し固定される」と不可逆的な変化であることが示唆されています、またこのことを「回路が開かれる」と言っています

この「回路が開かれる」現象は川島に思考にも起きていて現実的で肉体的な繋がりによって精神的な繋がりも得られると考えていた川島の思考は霊との出会い、そして認識によって「人間は孤独である」という回路が開かれ不可逆的な変化を起こします

そしてボートに乗って「行けるところまで行く」シーン、怪奇現象によって死ぬことが決まっている川島は車の中でもう一人の主人公から影となってしまった唐沢の元へ戻るかどうか聞かれます
以前の川島ならどう答えていたでしょうか、それは分かりませんが今の「孤独」を理解した川島は唐沢の元へ戻ることは選びません
もう物質的肉体的な距離の長い短いは意味がないことを分かっているから

二人の主人公はその後大型船に救助され南米へ向かいます、しかし南米が安全であるかは分からないので結局この旅は宛のない逃避行です

この行為に意味はあるのか、おそらくは無いと思います
人間はどこまで行っても孤独で最後には死ぬから
もう一人の主人公は「これで良かったんでしょうか」と船長に問いかけます
しかし、船長は笑顔で「君たちは間違っていない」と答えます

この映画のバランスの良い所はココだと思います
現実を楽しく生きていた川島は唐沢と霊に出会い、人間の関わりというものは無意味な虚像で人間の本質は孤独そのもの、そして最後には死ぬという認識へ不可逆的に変化してしまいます
しかし全てが無意味だと理解していても彼が選んだ決断は「行けるところまで行く」というもの
なんかニーチェの超人みたいな話ですね

川島が不可逆的な変化によって「孤独」を受け入れた事は最後、彼が影になってしまうシーンから分かります
川島と唐沢、生きている間には無理でしたが最終的には二人とも同じ「孤独」を共有できて良かった
「行けるところまで行く」事によってその先に何があるのか、何かあったとしても最終的には死ぬわけで全て無意味なんですよね
でもどれだけ孤独でも前に進み続ける事って間違ってないよね、良いよねと、爽やかに肯定してくれる感じがとても好きなラストでした


あとそういう哲学的な部分とは別に雑に世界が滅んでいく感じも面白かった
なんで人が影になって消えると飛行機が煙吹いて墜落すんねんとか街中で車が燃えてるのは何とかツッコミどころが多すぎる
でも怖いシーンはしっかり怖めで画質の粗さで霊の顔が全然見えないのも不安を煽る要素につながっててかなり良い
テレビから今日の被害者が流れてくるシーンとかめっちゃ好き

ニ週間は見れるそうなので死と孤独とインターネットが好きな人はおすすめです


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