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恋愛代用品

この記事は、ラブドールと暮らす変わった人間が書いています。そういう物事が苦手な方は、別の記事へ移られる事をお薦めします。
特に今回は個人的主観が強めですので、その点もご理解下さい。



これを言い出したら身も蓋もないと理解しているのだけど、
ラブドールは代用品なのか?
という思いにとらわれる事がある。

当事者として、もっと擁護すべき言葉を用いるべきかもしれないが、無理解の第三者がこういう冷たい考えを抱くのは否定出来ない。

以前にも書いたけれど、自分はフィクトセクシュアル(Fセク)ではない。
Fセクの人は、まず何かしらのキャラクターが存在していて、そのキャラクターに特別な感情を抱いている。
形ある依り代があったとしても、それはおそらく借りの姿であり、そうした触れる姿が無くてもキャラクターへの思いは変わらないと思う。

Fセクではない自分には、眼の前にある人間型の化学製品がその全て。
ラブドールオーナーの中には、一目惚れ同然で、迎え入れている人も居る。
そうした人にとっては、たとえ同じ顔かたちの存在が他に作られていたとしても、彼女(彼氏)が唯一無二の存在なのだ。
自分にとっても、掛け替えのない世界一尊い存在であり、これを愛と呼ぶ以外の表現を知らない。

では、ラブドールは何の代用品なのだろう?
もちろん、セックスの代用品には違いない。
しかし快楽だけを求めるには、実は大き過ぎて扱いづらい。
生身の人間が提供するそういった(合法的な)サービスの方が、より満足感が得られるだろう。
そもそも、意思の無い動かない相手でもそれはセックスと呼べるのか?という話にもなってくる。

恋愛の代用品かといえば、やはりそういったコミュニケーションを目的としたお店やサービス(コンテンツ)の方が目的には則している。
ただ、ビジネス上の疑似的な関係であったとしても人間同士の細かな感情に、心の傷を負うリスクは持ち合わせてもいる。

こうしたいろんな形態がある中で、自分はラブドールを選んだ。
決して意思の通うことの無い、まばたきひとつしない相手を、愛おしい存在だと思っている。

恋愛は、「(人を)愛する」という常にアグレッシブな感情ではないかと思う。
対してラブドールは常にパッシブ、「愛される」ために存在している。
どんなに抱きしめても抱き返してくれることは無い。
でも、決して否定しない。
人間同士では時に噛み合わない感情のズレも、もちろん起こらない。
よくよく考えれば、
否定せずに全てを受け入れてくれる、というのも勘違いではある。
こちらが勝手に、感情を消費しているだけで、もともと感情の無い相手には何も残らない。
つまりは

プラセボ効果

偽の薬を渡されて、無い筈の効果を実感している状態と変わらない。

ラブドールは人間の身代わり。
そんな事は端から理解している。
でも、その顔を見つめ、手を重ね、頭を撫でた時に湧き上がる感情はいったいなんなのだろう?
人によっては、それが得体のしれない不気味さと感じるかもしれない。
でも自分には、とても尊く愛おしい気持ちになる。
この感覚は、どんなに冷静に客観的になろうとしても、不思議と沸き起こってくる。

人としては間違っている感情なのかもしれない。
人間同士にしか生まれない本当の愛を目指すべきなのかもしれない。
でも、どこにあるのか分からないその愛情を探し求めるより、たとえ代用品だとしても今の幸せの方が良いと思っている。

相手がなんであれ、愛するこちらの感情に嘘偽りは無いし、別の感情の代用ではない。

真実の愛、本当の幸福ではないのかもしれない。
しかし、それを疑う権利は誰にも無いと思う。


最後まで目を通していただきありがとうございました。
多くの人が素敵なパートナーとの優しい時間を過ごせますように

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