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夏こそ、引き籠る


朝一に自分の仕事に取り掛からなかったせいかどうかはわからない。
わからないけれど、取り掛からなかった一昨日、1日を無駄に過ごしてしまった。
1日のスタート時の重要性を感じたのと、前回発覚した「ブログを書かないと死ぬ」強迫観念にも駆られて、朝ご飯を食べてすぐに取り掛かかりました。(つっても13時過ぎてたけどな)。


一昨日はせっかく朝8時に起きたのに15時までぐだぐだ過ごし、その後用事を済ませて、夕飯を食べた行きつけの中華屋でのフィナーレが酷かった。
おじさんの集団はお酒が入ってどんどん声が大きくなるし、中国人の家族(厨房へ入ってオーナーと大きな声でお喋りしていたので、オーナーのお知り合いと思われる)の子供は大きな音を出して動画観始めるし、うるさいおじさん集団が出たと思ったらその隣のテーブルのおじさんもうるさかった。


その中華屋の中国人オーナーはとても感じが良い方で、お料理も(酢豚以外は)美味ししいし、行けるお店が増えてありがたかったのだけど。
ママと私の決め台詞「もう当分来ないな」、出てしまいました。
また、行けるお店が減った。





3年前に自律神経をおかしくしてから、騒音には本当に過敏になった。HSPまではいっていないだろうけど、騒音に関してだけはHSP。


カフェで日記を書いたり本を読んだりして過ごすことが大好きで、行きすぎて貧乏になるぐらいには行っていたけど、すっかり行けなくった。
騒ぐ客や子供、騒ぎはしなくても音を出して動画を見るようなマナーのない人が来る店には絶対に行けない。なので店の客層と、行く日時も慎重に選ばなければならななくなった。


且つ、店員さんの接客態度、忘れてたけど味(←私にとっては味以上に雰囲氣が重要なので忘れてた。笑)。
そこも合わせて評価すると、行けるお店、ほとんどありません。




でも書いていて氣がついたけど、ゼロではないだけ、ありがたい。
しかも、その厳しい基準をクリアしているお店があるって、すごいことじゃない?
激戦区でも何でもないこの田舎に、そんな意識の高いお店があることは、すごいことなんじゃないか。

そしてそれ以前に、行けるお店がないなら、行かなければいいんだ。
行くのをやめて、家でご飯を食べればいいんだ。
仕事と同じ。働ける場所がないなら、自分で創る。
「お店を作る」って選択肢もあるし、実は夢のリストにもあるのだけど(笑)
優先順位が高くないし、料理は得意ではないからオーナーは他人に任せたいので、すぐには取りかからないかな。「いつか」の夢。


モヤモヤしながら中華屋を出たら、1階に古本の催事場があった。
大好きな伏見稲荷の本から始まり、ガーデニング、日本史、タロット、読みたいものがたくさんある。
「よかった、私、家出なくて済むわ。」って、安心した。
家でできることがたくさんあるし、むしろ家を出てる暇がない。




すっかり忘れてたけど、夏休み、始まったんだろ?
どこ行っても人がたくさんいて、どこ行っても騒がしいんだろ?
行かない。もう絶対にどこにも行かない。
どうせ毎年どこにも行ってませんけど、今年の夏は、生存を疑われるレベルで引き籠ろうと思う。

やる事を見つけられたから、というのもあるけど、引き籠るのに最も適しているのは、夏だと思っている。
引き籠もっていても、近すぎる夏の太陽が容赦なく部屋まで入り込んでくるので、お陰で(お陽で?)孤独になりすぎない。


「入り込んでくる」なんて書いたら鬱陶しい存在のようだけど、自然は人間と違ってただそこに居てくれるので、ちっとも鬱陶しい存在にならない。
自然のこの心地よさに慣れてしまうと、人間との関わりがすごく鬱陶しくなって、引き籠もりが行きすぎて仙人のようになるかもしれない。

でも、引き籠もりを冬にやろうとしても、おそらく夏のようには上手くいかない。
遠い冬の太陽は「入り込んでくる」程の存在感がないし、居てくれる時間も短い。
氣温も低いから人肌も恋しくなるし(その恋しさを埋められたことないけどな)、冬の引き籠もりは、あまりにも孤独で、少し病んでしまう。
冬は少し外に出て、外の世界を見に行く時期にしてもいいかもしれないね。
それもまた、楽しみ。



愛子

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