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「それで絶対に失敗しませんか?」というご質問について思うこと。

占い師をしていると、現状のお話をうかがって占いによってアドバイスをしているときに、たま~にお客様からこういう↑ご質問を受けることがあります。私の答えはいつも同じです。すなわち

「絶対に、ということはこの世にはありません。私は占いの場に現れるさまざまな象意を読み解いてあなたのご相談に沿ってアドバイスをお伝えすることはできます。ただ、未来はあなたの行動やその他の条件によってさまざまに変わっていきます。私があなたの未来を固定することはありませんし、あってはならないことですし、あなたにそのように思わせることも絶対にやってはいけないことなんです。」

ということをご説明します。

占いは、目に見えないものを扱う職業です。ですから目に見えないものに対して(例えば相手の未来について)の尊重がなければできない職業だと思います。

だから私はそういう問いをいただいたときは力強く「それはお約束できません」とお答えします(ただ、後から「やってみたら、結構楽しくなりました!」とか「教えてもらった時期に行動してたら彼氏できました!」等のご報告をいただくことは多々あります。これからも技術を研鑽してまいりたいと思います。)

ただこれは、私の占い師としての矜持サイドのお話です(いや、実は世界と領域への尊重、という意味ではお客様にも関係あるのですが、そういう深淵な話は今は置いとくとして)。

実はそのサイドとは別のところで、ずっと書きたいなと思っていた側面の話を今日は書こうと思います。それは、「この質問を発する時に含まれている考え方の構造について」です。

「絶対に大丈夫ですか?」というご質問の中には、今まで生きてきた中でのいろんなお気持ちが入っていると思います。その中でも顕著なのはやっぱり

「今までたくさん失敗して、その都度つらい思いをしてきた。
だからもう失敗したくない!」

というお気持ちかな?と思います。
失敗して、つらい。もうつらい思いはしたくない。避けたい。
よくわかります。私もつらい気持ちはやっぱり嫌です。
でもここで大変なのは「絶対に」という言葉だと思います。

もう絶対に、つらい思いは味わいたくない。
この考え方には、実はかなり人生を生きづらくする構造が含まれています。

わかりやすくするために、
①「絶対につらい思いをしないことを目指して」生きること
②「やりたいことを目指して」生きること
を例に出して説明しますね。完全に架空の人物のAさんに、①で生きる場合と②で生きる場合を演じ分けをしていただきますね。

Aさんは、今まで恋人がいたことがなく、ふとある日「恋人ってどんな感じかな。。。いっちょ作ってみっか!」と思い立ちました。
そこで、まずはマッチングアプリに登録してみようかと考えます。

まずはAさんが①の考え方だった場合どうなるかと言うと…

「マッチングアプリか…そういえば友だちのB子もマッチングアプリで婚活して結婚して、今はなんとか楽しくやってるっていってたな。でも、Cはマッチングアプリでかなりひどい目にあって騙されたって言ってたし…いくら成功してる人がいるからって、絶対に大丈夫ってことはないわけだから、マッチングアプリはやめとこう。」

「じゃあ誰かに紹介してもらおうかな?そう言えばD子が今度友だち集めてパーティーするって言ってたな。でもD子ってノリが軽いし、たま~にあの子と話してるとイライラするんだよね…そんな人が誘った人たちが集まるところなんて楽しいかな…嫌な思いをしない保証なんて無いよね、、そこはやめとくか。」

次に、Aさんが②の考えた方だった場合はどうでしょう。

「マッチングアプリか…そういえばB子がマッチングアプリで婚活して結婚して、今は楽しくやってるっていってたな。でも、Cはマッチングアプリでかなりひどい目にあったって言ってたな…マッチングアプリにも、いろいろ種類とかあるのかしら?ちょっとB子に、マッチングアプリ事情について聞いてみよう。っていうか、一応今からネットで情報収集してみるか。

ーーーその場でネット検索してみるーーー

なるほど~、マッチングアプリにもいろいろ種類があるわけだ。一応B子に話を聞いた後で、いっちょやってみっか!まぁやってみなきゃわかんないから、身の安全だけは確保していこう!」

「そうそう、今度D子が友だち集めてパーティーするって言ってたな。やっぱ恋人ゲットを目指すなら、人があつまる場所にいったほうがいいよね。D子はちょっとノリ合わないところあるから、果たして行って楽しいかどうか…まぁ行ってノリが合わなかったら、「おなか痛くなっちゃった」って帰ればいいか!後でお詫びにコンビニプリンでもあげれば、なんとかなるでしょ!」

どうでしょうか。「なんかこの二人、おんなじAさんと言いつつもともとの性格がちがうんじゃん!!!」と突っ込みたくなった方もいらっしゃるのではないでしょうか。正解です。もはや別人です。

ここでは大げさに書きましたけど、意識的に①を選択するか②を選択するかで、性格が変わると思います。毎日①を選択していく人は①のAさんにちょっとずつ似てくる部分があると思いますし、毎日②を選択する人は②のAさんにちょっとずつ似てくる部分があると思います。

上記の例を見れば一目瞭然だと思いますが、どちらの方がチャンスが多いでしょうか。

手数が多ければ成就する、ということではありませんが、部屋で体育座りしていても恋人はできません。とりあえずアクションを起こすことすら難しくさせるこの①の思考は、人生をかなりのハードモードにさせているのがお分かりいただけたでしょうか。

長くなりそうなので、いったんピーちゃんを見て目を潤わしてください。

占い師の視線でこのことにさらに細かく言及しますと、かなり大雑把に言えば生年月日から出す命式が①になりやすい人と、②になりやすい人がいます。(あくまで傾向の話です。)そしてさらに、その人独自の運の流れによって①になりやすい時期と②になりやすい時期があります。私は命式的には②になりやすい人なのですが、生まれてから本当に長い時間どっぷり①になりやすい運の流れの中にいて、考え方も①そのまんまでした。だからこそ、①の考え方の中にいる方のフィーリングがわかる。(重ね重ね言いますが①になりやすい傾向の運の中にあっても、①の考え方にならない方もいます。)

でもね、そこから少しずつ少しずつ「幸せとはなにか」ということを考え続けて、今は随分楽になりました。私の何年にも及ぶ長い考察の中でたどり着いたこと、それは①の「絶対に」という文言が、①と②の行き来を妨げる大きな壁だということです。

「絶対に」つらいことを避けるということは、①の人がタッチできることができる世界は「絶対につらくない世界」だけです。そんなもの、あるのでしょうか。でもこの「絶対に」の文言が外れれば、この人の行動範囲は広くなります。「すんごいつらいことがある世界」は無理だけど、「ちょっとつらいことがある世界」はタッチすることができる。

ここまで来たら、あとは目線を変えるだけです。
今までは「つらいもの」を避けるために「つらいこと」を(無意識的に)探していたのを、「やりたいこと」を見つめながらそのリスクとして「つらいこと」がどれくらい含まれているかを見積もるのです。

この二つも、おんなじことをしているようで全然違うことをしています。
「つらいこと」を探しているときは、「つらいこと」を多く発見します。なぜなら人間は、見ようとするものを見るからです。ある絵画の全体の美しさにうっとりする人もいれば、その1ストロークのタッチの粗雑さが気になる人もいる、ということです。おなじ出来事を見ても、全く違うものが見えてくる。それは「見ようとしているもの」が違うからです。

だから、「絶対に」の壁が無くなって、まだ元気がある人は目線を「やりたいこと」に合わせてみましょう。今まで人生の最大の関心事だった「つらいこと」は、「やりたいことの中に含まれるリスク」という名前になります。

そしてそれはあなたの人生の最大の関心事ではなく、視線も常にそこには無いので、以前よりもそれは小さく感じるかもしれませんし、以前よりそれを見つけることは少ないかもしれません。

確かに、命式的に①になりやすい人がいきなり②を毎日選ぶのは難しい部分もあります。でも、②になる前段階として「絶対に」というこの言葉を外すのに必要なことは、「決意するだけ」です。それだけで「絶対に」という言葉は外れます。そこにお金も、占いも本質的には必要ありません。

まず「絶対に」の言葉を外す、と決めてみる。決めてから、わずかな「つらいこと」にびっくりして、また「絶対に」に戻ってみようかな、と揺れてもいい。そうこうしてるうちに、少しずつ少しずつ「絶対に」は外れます。外れたところでも自分はなんとか生きていけるんだ、という自信がついていきます。

そうなってから体力的に余裕があったり、「今何かしてみようかな?」というタイミングが来たら、最も目線を持っていくところを「つらいこと」から「やりたいこと」に移してみてください。

そうしたら以前よりずっと「つらいこと」があなたの心をえぐる回数が減っていくと、私は思います。

占い師の視線で言えば、①になりやすいという情報が書いてある命式だって、それ以外の「こうしたら私は楽しいな~♪」「こうしたら私は安心するな~♪」という情報ももちろん書いてあるのです。①になりやすい、ということのみが書いてある命式なんてありません。

自分の様々な特質のどの部分にフォーカスをあてるか、ということは、どんな人にもできることです。①になりやすくなっている部分にフォーカスするのか、他の部分にも同等にフォーカスをあてるのかは、意識して選ぶことができます。

そしてそれができれば①になりやすい部分への過剰なフォーカスがなくなって、「絶対に」にしがみつく必要もなくなります。「つらい思いをしたくない」自分とおんなじだけ「あれしてる時は楽し~♪」という自分を認識できれば、「つらい思いをしたくない」しか見ていなかった時よりもその部分は小さくなるからです。

「絶対に」を外す決意とともに、自分を客観視する機会を設けるのは、そういう意味でとてもナイスだと思います。

あとちょっとでおしまいです!
さっきよりちょっと得気なピーちゃんを見て英気を養ってください。

自分にはどんな部分があるのかということを客観的に認識するために、占いはとても向いているツールだと思います。自分にはない観点の鏡として、自分を見つめる機会としてご利用いただければ、私としてはとてもうれしいです。

そしてその「こうしたら楽しいな♪」の部分を新しく認識して見つめているうちに、命式全体にパワーがあふれてきて、そのうち①になりやすい命式の部分だって、長所になるのです。①になりやすい命式を持つことは不幸?そんなことは、ありえません。その性質をどのように扱うかによって、短所は長所に、長所は短所になるからです。

「命式のこの部分は私の絶対的短所、汚点」という考え方は、「絶対に!」に似ている極端さがあると思います。「つらい思いをしたくない」というのは人間の生存本能に近しい部分ですが、それは人生の安全を担保してくれる大切な機能です。暴走させれば(=「絶対に!」の下で作動させれば)「自分を拘束する鎖」ですが、適度に発揮すれば「危険な状況を察知する安全センサー」になるはずです。

(だからもちろん、自分を認識する機会になるのなら、占いじゃなくたっていいのです。自分を表現する演劇のワークショップに参加してみるとか、カウンセリングを受けてみるとか、信頼のおけるともだちに「ねぇ、私ってどんな風な性格に見える?」と聞いてみるとか、一人で紙に自分の特徴を書き出して、それが適度に発揮されたときにどのような長所になるのかを考えてみるとか、客観視する機会になれば何でもオッケー!世界は自由にあふれているのだ)

極端さによって潰されてしまうたくさんの良いこと、楽しいことは、少しの「マーブル状態」を受け入れることで拾うことができます。あなたが「短所」だと思っていることを「長所」だと捉えなおすチャンスが、そこにある。

だから、「絶対に」という極端さを外してマーブルの世界を受け入れてみるのは、自分と自分の命式への愛だと思います。

あなたは、どんな世界に住みたいですか?
昨日のあなたと同じ世界に暮らしていても、在り方で、あなたに見える世界が変わるとしたら、あなたはどうしますか?

この文章を読んで、「絶対に」という言葉を握りしめる手の力を、少しゆるめてみることに興味が湧いたとしたら、幸いです。


※いろいろ言いましたがもちろん、そんな元気がないときは休んでくださいね。体力がある時とか、精神的に余裕がある時限定の話です!無理は禁物!


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