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「一番幸せな読書の時間」を与えてくれた

#読書の秋2020 #三月は深き紅の淵を #小説

本を読んだら、忘備録のメモをつけている。そのメモを見直すと、その作品と出会った時のテンションや、読んでいるときのワクワク感、いろんなものが詰まっていて面白い。

「三月は深き紅の淵を」との出逢いは、あまりに衝撃を受けたので昨日のことのように覚えている。もう、二十年位前に出逢ったのだけれど。

作品を楽しむということ以外の読書の楽しみを教えてもらった気がする。

「誰かに一冊だけ本を進めるとしたら、何にする?」

私は、もうその質問の答えは決めている。
「三月は深き紅の淵を」だ。

ところで、本を読むときの「決め事」を、あなたは持っているだろうか?
私は、結構こだわりがある。
やっぱり、きちんと集中できる時間が確保されていることが一番。
それから、ブラックコーヒーを用意して、部屋の電気を消す。
電気スタンドの明かりだけを頼りに、ページを開く。
時間帯はできれば深夜。本の世界に没頭する至福。

読書は、どこにでも旅できるチケットだ。緊張に心臓が早鐘を打つこともあれば、心躍る恋にときめくかもしれない。
どんなことでもできる。本の世界に入り込めば、どんなことでも。

話がそれてしまった。「三月は深き紅の淵を」の話をしよう。
私がこの作品に出逢ったのは、元号が変わる前、今からだと「古い」と言われてしまいそうな頃のこと。
当時から、私は本の虫だった。この世にある本をすべて読んでやる、と息巻いていた年若き私に、少し息抜きを進めてくれた友人がいたんだ。その友人は、私に再三約束を唱えさせた上でこの本を貸してくれた。


そうそう、この作品を人に勧めるときには厳密なルールが定められている。曰く、
一つ、作者の名を明かしてはならない
一つ、作品の複写をしてはならない
一つ、友人に貸し出す場合、この本を貸してよいのはたった一人のみ

焦った。じっくり読みたいというのに「一晩で返せ」なんて。
一晩では無理、とごねる私に、友人は首を縦に振ってくれなかった。

急いで本を読むのは好きじゃないのだけど、仕方がない。とにかく読み始めなければ。そんな思いでページをめくる。

読み終わるまで、文字通り「本の虜」になった。
顔を上げることさえせず、あっという間に読み切ってしまった。
どんな話かって? そうだねえ……
四章立てになっているんだ。
でも、それぞれが独立している作品というわけでもなくて、あるキーワードを中心にすべての作品はつながっているんだ。一つのものを別の角度から眺めた4作品ともいえるんじゃないかな。
ユーモラスな表現で笑わされたと思ったら、少女の切ない心の動きに胸が締め付けられて、最後の方はもう、しっかりつかまってないと振り落とされそうなスピード感があった。
面白い、ということだけが誉め言葉だとは思わない。読み終わったときに最初に感じたのは、嫉妬だった。この作品をこんなところで終わらせるなんて! 頭をかきむしったね。
すさまじい余韻に浸っている私のところに、友人は本当に本を受け取りに来た。約束だからと。
忘備録のメモを取ることさえ私に許してはくれず、本を持ってさっさと引き上げて行ってしまった。約束は約束だから、と、当たり前のことを言って。
その時なんというか、失恋したみたいな、喪失感さえ覚えたものだった。

現代は、インターネットの発達もあって、情報を得るのがたやすい時代になった。それは良いことでもあるし、便利にもなった。
だけど、疑問はすぐに氷解する代わりに記憶に残りづらく、調べた知識はそのばで消費されるようになった。もちろん、便利になったことのほうが多いってことは重々わかっている。でも、便利すぎる世の中には、隙がない。だから、私があの作品に感じたようなひりひりする焦燥感みたいなものは、今はもう味わえないのかなとさえ思う。
それが、いいことなのか、悪いことなのかは、わからないけれど。

本との出逢いは、まさに一期一会。自分が元気な間に、心を奪われるような作品に出逢えるのは本当に幸せなことなんだと思う。
読書のためだけに使える幸福な時間を味わえたあの頃を懐かしいと思うけれど、こういう風にも思うんだ。
これからも、もっともっと、心躍る素晴らしい作品に出逢えるんじゃないかって。
だから、読書は辞められないよ。

君も、そう思うだろう?


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