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骨折24日目


今まで一度も骨折というのを経験してないと言ったけれど、3年前に左足をくじいた時があって、あれは多分折れてたんだと思いました。

今でもしっかり歩けないのはそのせいだろうと今になれば思うのです。

そういう風に怪我などは治っても後々まで身体に影響します。

心の場合も、深い傷であればあるほど癒されるまでずっと折りに触れ心に影響を与えるのです。

ちょっとしたことに敏感になってこだわるとか、被害妄想気味になって怒るとか。

そういうことがあなたの中にある、周りの人にも思い当たるとすれば、心の傷がうずいているのかもしれません。

例えば字の上手い下手や声が大きい小さい、などに偏見やこだわりあれば、それはかつて自分が受けた傷なのかもしれません。

母は、子供の頃から母親から「あんたは字が下手だ」と再三言われて生きてきていました。

私から見て決して言うほど下手なわけではありません。

それなのに下手だと繰り返し言われることによって、小さな子供の心は傷つきますよね。

そしてそうに違いないとおもいこんでしまうのです。

大人に成長してきてもその傷は癒やされることなくむしろ、字を書くたびに自己嫌悪を感じ、覆い隠すために笑い話でカムフラージュしていくのです。

また私の場合は「声が小さい、もぞもぞしゃべるから聞きづらい」と言われることでコンプレックスでした。

だから大きな声を出せなくなってますます小さな自信のない声になってしまったし、自分の声が実際ははっきりとききとれなかったのです。

いまでこそ「いい声だね」と言われることが多くなり対話セッションや朗読や歌にも挑戦していますが、そんな傷が実はあったのです。

ヒーリングを受けた時に第5チャクラが閉じていると指摘されたのです。

でも、その人の身体的特徴や得手不得手なんて魂のレベルから見たら実はとても小さなことです。

魂は誰もが素晴らしい存在なのです。そんな特徴のひとつひとつは人と比べることでもないし、良い悪いでもなく、単に個性なのです。

それにも関わらず、個性を否定されたり批判されたり、バカにされたりなどすることによって、人は自分の個性に対して自信を失い自分はダメな存在なんだと勘違いして深く傷つきます。

そういう勘違いは、本来はなるべく早いうちに根元から消す方が良いでしょう。

ただ、本来的に個性はすべて素晴らしいものだ、という存在の根源的な事実にたどりつくまでの道程は、霊的な成長でもあるのです。

日々の暮らしの中で、人間関係、仕事、遊びの体験のなかで、自分自身でそういった魂のしくみを理解していくという側面もあり、適した時にそのことに気づくようになっている、適したタイミングがあるともいえるのです。

自分のなかでの鬱やトラウマ、傷に対して心を向けて、鬱屈した気持ちに向かうようになった時がその時なのかもしれません。

セルフケアしたりメンタルな問題を解決するワークショップに参加したり、カウンセリングで人の助けを借りたり、ヒーリングを受けたりして、その傷を癒してその後の全人生を生きるほうがずっと幸せでしょう。

身体の傷が癒やされていくことと心の傷が癒やされていくことは同じように、自分の中にある力によってもたらされるということを、人生の中で学んでいくのですね。


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