落ちこぼれが3年かけて一級建築士試験に合格した話
3回目の挑戦、1番の絶体絶命
2023年10月8日、正午。
私はぶるぶると震えていた。
用途地域が第二種中高層住居専用地域。
一度も演習していない、北側斜線の出題。
しかも北側隣地は公園。
二年以上前に勉強した、法規の知識を手繰り
寄せる。
だけど、頭は真っ白になるばかり。
こんなはずでは…
平静を装いながらも、額に汗が浮かぶ。
記憶はここから、更に半年前に遡る。
何度でもやり直せる
2023年4月。
私は重い足取りで、製図板を引きずっていた。
訪れたのは、久しぶりの予備校。
教室に入ると、見慣れた先生がいる。
昨年と同じ先生。
「やる気あるの?」
「やる気が湧いたので来ました」
長期クラス(既受験生が大半)のスタートは早い。
年明けのまだ寒い時期から始まる。
既に何週が講義をスキップしていた私は
気まずさを隠せなかったが、来てよかった。
2回目の不合格通知を受け取ってから、3ヶ月。
英語の勉強をしたり、お菓子を作ったり脚本を書いたりして過ごした。
でも何をしても、心にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。
誰に強制されている訳でもない。
でも、このまま諦めてしまったら、私が私自身を許せないまま生きていくことになるだろう。
失意の中、再スタートを決めた。
何かを変えなければ受からない
半年ぶりに勉強を始めるにあたり、
唯一分かっていたこと。
それは、昨年と同じことをしても、
絶対に受からないということ。
▪️受験歴
2021年
学科合格・製図は図面が汚い。
形だけ完成、CK時間は15分ほど
2022年
長期製図。演習と異なる設定階に動揺し、階段作図ミス。(屋上まで昇れない)
自由過ぎる要求室に戸惑い、エスキスに手間取る。→CK時間が思うように取れず、変な場所にセキュリティをかけたことに試験終了後気づく
2023年 ⇦今ココ
昨年の敗因は、初出題に動揺してしまい、冷静な判断ができなくなること。
それならば、初出題もドーンと待ち構えられるくらい、各工程の精度を高めようと考えた。
具体的には
①読み取り・エスキス手順を確立する
②作図を2時間目安で終える
③記述は丸暗記ではなく説明できるようにする
①〜③も当たり前過ぎるけれど、言い訳をして逃げて、昨年は全て中途半端になっていた。
読み取り・エスキスには全神経を集中させ、
マイナス思考を発揮し、徹底的に自分を疑う。
作図や記述は身体や頭が勝手に動くように、
徹底的に叩き込む。
謂わば、セルフ・スパルタ塾を開校した。
それに加えて、毎年指摘される筆圧の薄さ。
及第点のプランを作っても、同じようなプランが隣りに並べば霞んでしまう。
そして、ただただ印象が悪い。
そこで投入した新兵器。
マークシート用シャーペン1.3mm。
先生のエスキスが綺麗なのは何故だろう?
と考えた結果、
そうだ、濃いんだ!
そう思い立ち、購入してみた。
そして、エスキス用紙はこんな感じに↓
見ての通り、私は字が綺麗ではない。
しかし濃く書くと、何となく上手く見える。
あとは単純に印象に残るので、条件整理の見落としが減った。
作図(に落とし込むときの)ミスも減った。
昨年までエスキスでも使っていた、定規と消しゴムを封印した。
線が太いので、フリーハンドで十分。
最終的には、断面図の切断線など、図面のここぞという場所にも使った極太シャーペン。
図面のメリハリを例年以上に意識することで、明らかに見映えが良くなった。
また、まとめノートも強化した。
何となくテキストに書いてあることを転記するのではなくて、自分が納得できるまで書き込むようにした。
仕事の転機
加えて、4月から異動で部署が変わったことも、良い方向に働いたと思っている。
(マンションから事務所ビルの部署に)
これは本当にたまたま。
事務所ビルはリニューアル工事がメインで、
工事の際にビル内の設備を見ることができる。
当たり前だけれど、直接見ると理解が進む。
部署内にも、設計や施工に長いこと従事されていた、プロフェッショナルが沢山いる。
仕事上の相談に乗って頂く中で、建築に対する解像度が、少しずつ上がるのを感じた。
(ほんっとうに、微々たるものだけれど…)
明らかにレベルアップしている
トライアンドエラーを繰り返すことで、評価が上がった。
手順を確立し作図時間を短縮することで、CK時間を1時間近く確保できるようになり、大きなミスがなくなった。
模試もランクⅠが続いた。
何よりも、
作図においても記述においても見映えを意識
することで、誰の図面と並べても見劣りしないようにした。
文房具を変えたことは大きかったけれど、日々の作図パーツトレーニングも効いたと思う。
(什器や植栽を単独で練習)
そして冒頭に戻る
『北側斜線の隣地公園は緩和されない』
ふと、そんなことを教わった気がした。
もう何年も前の筈なのに。
そうだ、ここで動揺している場合ではない。
ここまで作図時間を短縮したのも、エスキスをスムーズにしたのも、こんな異常事態に対応するためじゃなかったのか。
汗で滑りそうになるシャーペンを握り直し、
勢い良く、でも冷静さは失わずに、続けた。
頭は冴えているのに心はどこか別の場所に在るような、変な気分だった。
まさかの結果発表
あっという間の6時間半が終わり、復元図を書き終えると、いつもの日常が始まった。
終わって数日間こそ、やり切った感があり、手応えを感じていたものの、1週間経つ頃には
「管理の諸室をもっと提案するべきだった」
「2階のホールが広過ぎて、無駄なスペースと
判断されるのでは」
粗探しを始め、すっかり自信を失っていた。
2023年12月25日、午前。
何故この日は、いつもクリスマスなんだろう。
茫然自失の数ヶ月を過ごした私は、結果も見ずにお腹の痛みに耐えていた。
動く気力も起きない、そんな感じ。
そこに入る、1本の電話。
慌ててスマホを見ると、妹の名前。
「番号あるよっ…受かってるよおぉ…!」
電話口から妹の涙声が聞こえる。
「え、嘘でしょ」
「自分で確かめてみて」
何がなんだか分からなかった。
何回かロードし、東京都のファイルを開く。
恐る恐るスクロールすると、そこには確かに、私の受験番号があった。
腰が抜ける。信じられない。
妹が泣いていることにも驚き、涙が出ない。
あれだけ試験に興味なさそうにしていた妹が。
後日
「管理の諸室をもっと提案するべきだった」
「2階のホールが広過ぎて、無駄なスペースと
判断されるのでは」
等々恩師に言ってみたところ、
「そんなことを気にしてたのか?」
と言われる始末。
変な自分のこだわりに振り回されていたとも
いえるけれど、この3年で目が肥えていたんだなと思った瞬間。
才能なんてものは何も持ち合わせていない私を合格へと導いたもの。
それは根性や見栄ではなく、徹底したマイナス思考と執念、そして、周囲のつかず離れずといった応援だった。