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20歳代の歪んだ恋愛

私の20代は、23歳で音大の専攻科を卒業し、その当時、応募倍率の高かった会社へ入りました。私はとにかく会社勤めをしたかったので、とても嬉しかったです。そして、入社1年目目で数か月すると、部内の上司にあたる人と恋愛関係になりました。
相手は(今になって思えば)あまり社内で評判の良い人ではありませんでした。内面が悪く、外面が良い、というような、まるっきり母と同じタイプの人でした。

この人は自己愛性パーソナリティー障害ではなかったと思いますが、モラハラ傾向はあったと思います。
その人は、当時、奥さんや子どもがいましたが別居中でした。
私はその人に「付き合ってほしい」と言われ、すぐに母に言いました。
このへんが共依存だったなと今でも思います。

ふつうなら、このふつうでない状況に、反対するべきなのに、母は快く承諾してくれました。
そして、恋愛に親の承諾など必要でないとは思うのですが、当時の私は、母に秘密にして付き合うなどということは出来ませんでした。これも罪悪感からだったのでしょうか
そして、この恋愛は悲しいことばかりでした。表立っては言えない関係でしたから。そういうことが積み重なって、自分の「自立」とは程遠い場所にいました。

仕事上、上司と部下という関係の中に恋愛を持ち込むことがとてもしんどかったです。

しかし、結果、このような関係はうまくいかなくなります。私だけが我慢している関係だからです。相手が「今すぐ来い」と言えば、何もかも投げ出して行き、行ったところで、虐げられるだけでした。

最終的には、相手が私との関係を疎ましく感じ、私と付き合いながら、取引先の企業の女性と交際し、結婚にまで持ち込んだのです。

今でいう二股交際。
私は会社を追いやられるような行為をされました。
しかし私は会社で訴えを起こし、逆に相手が会社を追われることになりました。

この「訴え」の影にも母がいました。母が本当に私を守ったかどうか、私にはわかりません。私のためを本当に思ったら、こうするのが本当に良かったのか、わかりません。

今考えれば、その出来事があったから、それまで我慢していた自分を初めて出せたのです。それでもかなり長い間、相手と一緒の部署で、開き直った相手とのイジメに耐えていました。その後、違う部署に行き、そこから何年かして社外の人と恋愛し、退職しました。

夫と知り合ったことが私にとっての救い

社外の人というのが、今の夫です。
自然豊かな土地で育ち、善意の家族や善意の親戚に囲まれて育った人です。

心がとても健康な人のように思いました。

大企業に勤め、勤続〇十年。私は、冒険が怖い、という感覚の持ち主でしたから、結婚後にそういう夫におんぶにだっこで、ある時期は、いわゆる共依存のような状態にもなりました。

一つ言えることで、私は

自分のやりたいことを我慢する傾向があったと思います。

そのせいで、自分が本当にやりたいことがだんだんわからなくなっていきました。

自分の人生を人のせいにしていた自分

あるきっかけがあり、私の人生がうまくいかないのはすべて「夫のせい」にしてきた自分の思考に気づき、唖然としました。

母と同じじゃないですか。

これは自分のせいです。自分が自分のやりたいことを自分事として動かなかった結果です。

これからは自分の人生を歩こう、と決めた時でもありました。
私はそれまで、基本的に自分の主張をすることや人間関係で苦手なことが多かったのですが、とりあえず、少しずつやろう。と。
丁寧にやろう。
遅くてもいいから、最終的にできればいいから。
そう思ってやっていました。

そして、誰のせいにもしない、自分が言い訳のできない人生にしよう。一つ一つ、出来なかったらそれは自分のせい。
自分が一つ一つ行動をして決めていくんだ、と決めたのです。

その当時、よく相談をしていた方がよく言っていた言葉があります。
行動は正直。言葉は嘘つき。何事も行動を見よ、です。

言葉は嘘をつくことができる。行動を伴わなければ。それは嘘だと。

はっきり言って、その言葉がとっても苦しかったです。
そして、自分の感情を感じるのもとっても苦しかった。

長い間、自分の感情を見ないようにしてきたから、感情を感じるのが苦痛でした。

前は見えませんでした。
不定愁訴もまだまだありました。

私は、なぜこんなに苦しいのだろう?と思い、自分の考え方にたいして疑問を持ちました。すると、私は

「~しなければいけない」

という考え方が強いことがわかりました。
そして

「どうして?どうしてそう思うの?」

と問いかけるのです。すると、自分の考え方そのものが、とっても心が狭いことに気づきました。

自分はどうありたい?
と自分に問いかけると、「心が広く、やさしい人になりたい」でした。

自分を苦しめているのは、夫でもなく、また母でもなく、私自身なんだと気づきました。

もちろん、母は私の考え方を作った原因です。
でも母が悪いとして、自分が悪くないというのは、母と同じですよね。
私はそうはなりたくなかったのです。

そこから、私の一歩が始まりました。

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