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ユキュアは〈並行世界〉にある

時折、他の人工言語(架空言語)に付随する「架空世界」が羨ましく思えることがあります。
ブランドイメージとして狐を用いるたびに、他の人工言語のような文化的な装飾を加えたい気持ちになります(これこそユキュアで言うところの「左手の狐憑き(直感・衝動に支配されている状態)」です。わざわざこんな補足を書かせているのも彼です)。

しかし、狐を採用したのはあくまで〈超自我・自我・エス〉の対立を分かりやすくするためで、狐をユキュアのエスニシティにするつもりはありません。
あくまで〈内省のための言語〉という制作理念を念頭に置かなければなりません。

「架空世界」がないとすれば、ユキュアは「現実世界」にある言語なのでしょうか。
例えば、国際補助語は典型的な「現実世界」にある言語です。当然、自然言語も「現実世界」にあると言えます。

結論から言えば、〈ユキュアの世界〉の所在は〈並行世界〉の一つにある、〈並行時制〉の「この世界」にある言語です。
少しややこしいかもしれませんが、解説します。

例えば、地図などを参照せず、記憶だけを頼りにあなたの家の周りを描いてみるとします。 それは現実にあるものが欠けていたり、位置が違ったり、大きさが違ったりするかもしれません。 それが現実と似て非なる〈並行時制〉の「この世界」です。

自宅を描くのは流石に危ないので、渋谷駅のどこかを描きました。

〈並行世界〉の一つ、と言ったのは、〈並行世界〉は〈並行時制〉の「この世界」以外にも存在するからです。
例えば、〈並行時制〉が過去や未来を包括することからも見てとれるように、過去や未来も並行世界の一つであると考えています(絶対的な時間は存在しないというアインシュタインの相対性理論に基づいています。物理学には疎いため、解釈は疑似科学として受け取って下さい)。

また、私は言語創作を「人工言語の作者が自身の言語イデオロギーを内省する行為」と所々で述べていますが、知覚を参照していないという点において「架空世界」も〈並行世界〉の一つであると考えています。〈ユキュアの世界〉が「架空世界」でない理由は、「架空世界」が「この世界」を描こうとしていないためです。

他方で、ユキュアや他の架空言語は「現実世界」で用いられることがあります。人工言語コミュニティにおいて架空言語でのコミュニケーションを実演した場合、まさにこのケースが当てはまるでしょう。

しかし、国際補助語や自然言語といった「現実世界」にある言語であっても、内省や想像といった「並行世界」での使用が想定されます。
つまり、「『○○世界』にある言語」というのは言語の本拠のことを指し、本拠以外でもその言語は使われ得るのです。

〈ユキュアの世界〉の所在が定まったところで、次に〈ユキュアの世界〉の創作について検討します。
「架空世界」であれば、その世界の文化や歴史を創作すれば良いでしょう。

「〈ユキュアの世界〉の創作」とは、「知覚を参照しない『この世界』の描写」です。
一例として、先に挙げた「家の周りの描写」があります。これが〈ユキュアの世界〉における地理の創作です。
『バカ世界地図-バカが考えた脳内ワールドマップ-』という書籍がありますが、それと似ているかもしれません。
当然、ユキュアによる内省は個々人で完結するため、〈ユキュアの世界〉は無数に存在します。

あるいは、記憶だけを参照して事物を描くのも良いかもしれません。その際に目を瞑った状態で描けば、描写の結果という知覚をも参照しないため、より「〈ユキュアの世界〉の創作」に則していると言えるでしょう。
(ユキュアの普及のため「人工言語・目隠し書道コンテスト」などを検討しています)

本記事では〈ユキュアの世界〉を検討してきました。
結論を述べると、〈ユキュアの世界〉とは知覚を参照しない「この世界」であり、「〈ユキュアの世界〉の創作」とは知覚を参照せずに「この世界」の事象を描くことです。

〈内省のための言語〉の理念に反さない形で、無事に自身の人工言語にも自身の世界を獲得できました。
両手の狐も納得してくれたようです。

狐…?

Be quare nö Süannare.
感謝が貴方を知っている。

Mussucie De Soscue 著
著者X(旧Twitter):@SoShu_K
ユキュアホームページ『Ne Rome de Wücua』:
https://wuxxcua.wixsite.com/wuxxcua


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