個人言語でも文化がしたい!
つまり、文化の創出には社会が必要と言えます。
例えば、エスペラントには民族文化がないのであって、エスペラントの共同体には国際性、平和主義、言語相対主義といった思想が文化として存在すると言います(福地、1997)。
以前の私の記事『ユキュアは〈並行世界〉にある』では、人工言語に付随する世界を三つに分類しました。すなわち、
①「現実世界」にある言語…国際補助語系
②「現実世界」を参照しない「並行世界」にある言語…架空言語系
③「現実世界」を参照する「並行世界」にある言語…個人言語系
①は社会集団の中に言語が置かれることによって世界を獲得します。
②は架空世界に基づいた架空の文化を構築して世界を獲得します。
③は、つまり個人言語では、社会集団の中に言語を置くことも、架空世界に基づいて架空文化を構築することも困難です。
文化の獲得のために②に舵を切ろうとしても、まだ構築していない不足の世界観は現実の世界観で補完するという、継ぎ接ぎの文化を獲得するからです。
①に舵を切るのであれば、まず話者のコミュニティを獲得する必要があります。人工言語のコミュニティにおいて話者を獲得するのであれば、コミュニティの参加者自身の言語の創作から、こちらの言語の学習に彼らの注意を移さなければなりません。
一般社会で話者を獲得するのであれば、その言語の特色や優位性を明確に示す必要があります。人工言語が注目されればされるほど、「人工言語」という目新しさだけに頼って言語を伝播させることは難しくなるでしょう。
仮に話者を獲得したとして、自分の言語を他者が自分とは異なる認識で捉えることを許容しなければ、社会集団の中における文化の自然発生は活用できません。あるいは、自然発生した文化を自分が認めるか否かで選別することもできるでしょうが、そのためには作者が存命であるか、文化版『Fundamento de Esperanto』のような文化のあり方の指針を定める必要があります。
上記の内容はいわば取らぬ狸の皮算用なので、今からでも個人言語が文化を獲得する方法を検討します。
一つ挙げられるのは、ある作者の個人言語が別の作者の個人言語と文化的な連合関係を築くという方法です。
例えば、人工言語コミュニティにおいて頻出する語彙や事象に音声を与えて、その音声をそれぞれの言語の音韻体系に基づいて転写する、といった活動が考えられます。
または、ある作者の個人言語から別の作者の個人言語への語彙の借用という形をとっても構いません。
あるいは、訳し方(例:人工言語→人が作った言語)だけを共通させる、という活動が最も互いの言語観を損なわないかもしれません。
無論、連合関係の中で生じた文化を自分の言語に取り込むか否かは、自分自身で選択することができます。
これなら、人工言語のコミュニティの参加者が彼ら自身の言語に注意を向けたままにしつつ、社会集団の中に言語を置くことができ、個人言語にも文化を創出することが可能です。
まず始めに、「創作途中で放置された人工言語」を一緒に名付けてみませんか。
参考文献
福地俊夫著「文化がないから言語としてふさわしくないのではないか」日本エスペラント學会編『Revuo Orienta』(1997年1月号)
Be quare nö Süannare.
感謝が貴方を知っている。
Mussucie De Soscue 著
著者X(旧Twitter):@SoShu_K
ユキュアホームページ『Ne Rome de Wücua』:
https://wuxxcua.wixsite.com/wuxxcua