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永遠のヨギー/映画感想

『永遠のヨギー~ヨガをめぐる奇跡の旅」という映画を観ました。友人と感想を語り合ったので、内容をシェアします。


こころ:映画どうだった?

友人:一番強く心に残ったのは、ヨガナンダやガンジーやキング牧師といった偉大な方々が同じ時代に生きて人々を導いても、第二次世界大戦を回避することはできなかったのかという、喪失感みたいものかな。

こころ:人々の意識が「教え」を受け入れる準備ができてなかったんだろうね。

友人:そっちは映画を観て何を感じていたの?

こころ:4年前に映画館で観たときと、印象が全然違ったよ。以前はスピリチュアルな考え方に傾倒していて、神や真理について深く考えることもなかったから。あの時はヨガナンダの生涯にひたすら感動したよ、でも今回は神との合一とか、深い真理がひとつひとつ内に入ってきた感じがあるかな。劇中にあった「意志とは思考をエネルギーに変える力である」っていうセリフが強く心に残ったなあ。自由意志って神に還ろうとするエネルギーなんだなって思ったの。
  
友人:神に還るということで思ったんだけど、頭の中でね、どうして神から分離しちゃったんだろう、エゴによるあらゆる障害は分離に起因しているんだろうなって、そう思うと分離した自分が悪いとか、情けないとか考えてもしまうのね、でもある時、無限の神の中で「神ではないとは何か」ということを考えたからと言って、それが悪いとは言えないよなとも思ったの。神ではない何かを思ったことによって生み出された分離感やエゴの仕組みもまた、神の中でのひとつの体験に過ぎないんだろうから。こういうのって何となく感覚的にそうなんだろうなあって感じるものだけど、思考や感情は強く抵抗するから、本来の自分とは別物のような気もするよ。感情面では怒りや苛立ちがあっても、だからと言って神がないことにはならないから、そもそも感情の方が幻想的なのかなって。エゴという幻想のベールに包まれた自分が、この意識を超えられないことにもどかしさややるせなさを感じるよ。

こころ:幻想のベールに包まれているって感じていることがエゴの罠なんだと思うよ。すでにエゴを自分だと思い込んでいる状態がそれなんだろうし。本来のわたしはそれを俯瞰して見ているのに、エゴの私がその幻想に覆われた内側にいる私だと認めているなら、エゴはエゴでいられるし存在意義を失わずに済むんだろうね。

友人:なるほど。それと映画の中でヨガナンダが故郷のインドに帰国してガンジス川のほとりやヒマラヤの山中で静かに神を感じて暮らしたいって切に願っていた最中に、神からロサンゼルスの活動拠点に戻りなさい、人々が行き交う雑踏の中、銃弾飛び交う戦場の中にも神はいるって、そう言われたときヨガナンダは涙しながらアメリカに戻ったって言ってたね。あのシーンも凄かったなぁ。

こころ:聖人の方々は逆境の中で、その生き様を示してくれることで、人々を導いて下さっているんだね。

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