批判や評価をしたり、されないで
僕たちは色んなことを批判と評価をし、他人から批判される評価されがち。
月収が〇〇円だから自分は良いと評価する
朝起きれない自分をなんてダメ人間だと批判してしまう
誰かと比べて人より上手にできたら凄いと評価する
相手をコントロールしたくてコントロールできないと批判して攻撃的になってしまう
大企業や国の仕事をした人は有能だと評価する
親から家事や働き方について〇〇しなさいと言われたことを守れないと、批判されて、自分は言い返してしまう
ほとんど何かを基準に良し悪し・優劣を決められていて、無意識に頭の中にインプットされてます。
だから、批判や評価は当たり前でしょ?普通じゃない?と思うわけ。
でも、批判や評価は自分を小さい檻の中に制限してしまうから、苦しくなります。
小さなストレスかもしれない。
みんな我慢してるから我慢して当然かもしれない。
でも、喜びか苦しみ、どちらを感じてるか自分の心に聞けば、答えは誰でも簡単に分かります。
自分で他人を批判し評価しても苦しいし
自分が自分を批判し評価しても苦しい。
反対に、批判と評価をやめたら、とても自由で喜びに満ちていきます。
もう、何かに認められるために、生きなくて良くなるのだから。
とても自由です。
花が咲く場所を選ばず咲くように、人間の僕たちも自由にいま生きている所で自分自身を表現できるようになります。
誰かに見られてなくても咲くのです。
人間だって、誰かに認められなくたって、思い切りしたいことをしていい。
あんなに花が綺麗なのは、他の花たちと比べず思い思いに咲いてるからかな。
さて、そうは言っても、花は生まれた頃からそうやって教えられて生きてきたけれど、
僕たち人間は、残念だけど、点数をつけられ、競い合い比べあい、評価と批判の生き方を教えられてきています。
もう何十年も続けてきたのだから、急に花みたいになれと言われても難しい...。
だから、昔々から秘密のうちに引き継がれてきた秘密の叡智・形而上学の学びと、イニシエーションによって古い波動を振り落とす道があります。
10年くらい前の2011年に僕は京都でその道に入り、ずいぶん楽になりました。
寝る前や起きた時、素直に心に聞いて、苦しいか喜んでいるかを問いかけると、もちろん、人間だもので間違うから、苦しい日だってあります。だけど、間違いなく喜びの日はどんどん増えています。
当時は、平和学や国際関係論という世界平和についての学問を個人的に学び、開発経済学という貧困を解決する学問を学んでいたのですが、この形而上学の学びと世界平和は全く関係ないものと思ってました。けれど違いました。
僕たちが苦しまず、喜びと自由の日々を生きれば、一部の人が得をして、多くの人を犠牲にする生き方はなくなります。
自分も犠牲者ならずに済みます。
学んだことをそのまま生きてみることは、自分の魂を救うことでした。
これを読んでくれているあなたは自由ですか?喜びに満ちた毎日を過ごしていますか?
さらに自由と喜びを生きたい方は、ぜひアデプトプログラムにお越しください。
お会いできるのを楽しみにしています。
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お知らせ。
5/22 立川でヒーリングイベントをします。
5/28 名古屋藤波で魔法使いヒーリングマルシェ
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