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9cmの赤ちゃんが教えてくれたこと①


2020年秋、私は妊婦だった。


つわりもあったが、夫と2人息子と共に忙しく、楽しく暮らしていた。


妊娠13週に入った。


もうすぐ安定期と呼ばれる時期に入る頃だった。
ちょうど前の週くらいからつわりがおさまってきたと感じていて
家事もちゃきちゃきできるようになってきたり、食べるのが再び楽しくなってきた頃だった。


火曜日の検診の日、思わぬ出来事が起きた。



赤ちゃんの心拍が確認できなかったのだ。


成長も12週相当で止まっているようだと。


まさか。


エコーで毎回見る姿はあんなに元気だったのに。
涙が流れてきた。



これからの流れを先生がお話ししてくれた。

入院して、陣痛促進剤を使い陣痛を起こし産むのだということ。


そしてその後は死産届を出して、火葬・埋葬するのだということ。


私は次の日から入院することにした。
普段は離れたところに住む母が来てくれることになった。


病院に夫が迎えにきてくれた。
家に帰ってきて朝から計画していたお餅と味噌汁を昼食に食べた。


夕方に買い物に出かけた。
スーパーで明日から家族が食べる食材と
夕食のお弁当も各自が好きなものを選んで買った。


その日はちょうど結婚記念日だった。


そして夫はバラの花を買ってくれた。
色は私が選んだ。

「ハロウィン」という名がついたくすんだピンク色。


明る過ぎなくて今の自分達の気持ちに寄り添ってくれるように感じた。


帰宅して夕食に買ってきたお弁当を食べた。
その間に母親が到着した。


何も聞くことなく、普段通りに接してくれた。


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夜ベッドに入って、今日一日を振り返っていた。


悲しかったな。
でも不幸では無い。
やはり幸せと思う。
悲しいのは悲しい。まだまだ泣くと思う。
でも私は幸せだ。
ありがとうとしか言えない。

色々な気持ちがごちゃ混ぜになっていた。


一生忘れられない結婚記念日になった。



明日は朝から入院だ。


入院の日。


身支度をして、朝食を食べた。
子供たちと夫と母に見送られタクシーで病院に向かった。


診察が終わり少し待つと病室に案内された。
個室を希望していたが、思っていたより素敵な部屋で少しテンションが上がった。
一人でゆっくりと過ごせることに静かにワクワクしていた。


自分の声だけが聞こえる!


毎日使っているお気に入りのノートとペンを取り出して
感じることを徒然と書いた。


「生まれてくる命、今生きている命があるということは当たり前じゃない。

それ自体奇跡だ。」


そう書いて、ふと「奇跡」という言葉の意味を調べてみようと思った。

奇跡…常識では起こるとは考えられないような不思議な出来事。
特に神などが示す思いがけない力の働き。またそれが起こった場所。



こんなことが書いてあった。


本当にそうだ。
目にも見えないほどの小さな小さな細胞がくっついて、分裂して人の形になっていく。


ちゃんと息をして、心臓が絶えることなく動いて、私たちは生きている。


私たちの、この一日一日、一瞬一瞬が既に奇跡なんだ。


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この経験がなければこんなことを知ることもなかっただろう。
ありがとう。ただただありがとう。



夕方にまた子宮口を開くための措置を追加した。


いよいよ明日が赤ちゃんが出てくる日だ。
どんな感じになるんだろう。


ベッドに寝っ転がるとこんなことを感じた。


「生まれる」ということがゴールでもない、スタートでもない。

「死ぬ」ということがゴールでもない、スタートでもない。

一瞬一瞬がスタートでありゴールだ。
その一瞬一瞬どう在るかだ。



私のお腹の中に赤ちゃんはいる。
その心臓は止まっている。
悲しい。
でも今、確かに私はとても充実した時間を過ごしている。
お腹にいる動いていない赤ちゃんと共に。
そしてそれはこの赤ちゃんからもらったものだ。


生と死が入り混じってプレゼントされた時間。


私は今までこんな風に一瞬一瞬を味わい、好きなように表現していただろうか?


そんなことを思いながらも、疲れていたので夜はゆっくり眠れた。


つづく。

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