問題にならない問題・今そこにある問題
今年もあと僅か、通知で「12月31日までに書けばバッジがもらえる」らしいので、今年の総括を今年中にしようと思いポエムを書くことにした。
たちが悪い問題
私は熱心な教徒でも無ければ特定の政党の党員でも無いので新興宗教や政党政治に興味が無い。
だが、一応自分の宗派は知っているしお札も授かるし、今の政治に関心が無いわけでは無い。
それよりも身近な問題があるじゃぁないですか。
それが「スポーツファン問題」です。
特徴
スポーツファンの特徴は
熱狂的である
活動が生活の一部である事がある
熱狂的で無い人を蔑む傾向にある
等が上げられる。
特に私が危惧しているのは3番である。
1番2番については他人に迷惑がかからないならそれでいい。
しかし3番はたちが悪い。
自分が好きな物はきっと相手も好きであるという立場に立った言動はそうでない人にとってどれだけ苦痛であるか知ったほうが良いと最近わかった。
最近読んだ著書にこんなのがある。
これは色々な境遇を持った人が他者の合理性を理解しなければならないという立場に立った文章である。
しかしこのスポーツファン問題は他者の合理性を無視してやってくる。一昔前のヲタクたちがそうであった。私もそうでなかったと言えば嘘になるが、このご時世、他者の合理性が理解できない人は他者から忌み嫌われる存在になると思ったほうが良いと私は考えている。
こんなこ(達)いるかな?
私が実際飲み会で経験したことであるが、ワールドカップサッカーが終わってしばらくしたときの会であった。
ある若い人が「×××選手マジすげー、何度観てもかっこいい」と言っていたので、私は興味が無いアクションを起こそうとしたが、周りのみんなはどちらかというとサッカーを観ていた人間らしく、私は苦笑いしながらも同調せざるを得なくなった。それは非常に心苦しかった。
みんな若い人たちだし「多様性・多様性」と言っているからその心持ちをもって接してくれるのではと期待したが、期待は大きき外れてしまった。
まぁ、これまでいってもわからない人がいるとは思わないが、じゃぁ、こういうことを言ったら理解できるだろうか。
たちが悪い問題
私はプロ野球ファンでも無ければサッカーファンでも無いしスポーツ全般に興味が無い。一応好きなプロ野球人(つば九郎)はいるし、故郷がサッカー王国なのでそれなりに故郷のサッカーチームがどうなっているかは興味がある。
それよりも身近な問題があるじゃぁないですか。
それが「教徒問題」です。
特徴
教徒の特徴は
熱狂的である
活動が生活の一部である事がある
教徒以外は邪教として扱い蔑むことがある
等が上げられる。
特に私が危惧しているのは3番である。
1番2番については他人に迷惑がかからないならそれでいい。
しかし3番はたちが悪い。
自分が信じている神はきっと相手も信じられるという立場に立った言動はそうでない人にとってどれだけ苦痛であるか知ったほうが良いと最近わかった。
どうだろう、言っている構造は何も変わっていないことがわかると思う。
結局のところスポーツの熱狂的ファンと熱狂的な教徒は構造が似ているのであると私は思った。
さらにたちが悪い問題
で、何が言いたいかというと、これに類する問題として「二世問題」がある。宗教二世よろしく、スポーツファン二世はそれでまたかわいそうな問題だと思っている。
「子供も同じスポーツが好きで何が悪い、宗教二世とはちがう」と言いたいそこのあなた。本当にそれが正答なのだろうか。
「子供も同じ宗教を信じるのが何が悪い」って言っているのと私は同値だと思ってしまう。
私には配偶者もいなければ子供もいない、だからその境地には立っていないが、多様性と言っている割には了見が狭すぎでは無いだろうか、と言いたかった。
特に、野球選手がポケットマネーでグローブを学校に寄贈したことをすばらしいことのように捉えているが、多様性を潰す立派な押しつけである。と思うのは私だけであろうか。ともいいたい。
多様性を叫ぶならまず足下からである。
・・・とちょっとポエムを書いてみました。
嗚呼、これでバッジがひとつ増える。
--完--
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