白井カナコ

あったかくて、せつない。 そんなお話が好きです。 オリジナル小説やノベライズを出版してきました。 何を隠そう、崖っぷちです。 どうぞよろしくお願いいたします。

白井カナコ

あったかくて、せつない。 そんなお話が好きです。 オリジナル小説やノベライズを出版してきました。 何を隠そう、崖っぷちです。 どうぞよろしくお願いいたします。

最近の記事

あの日

 あの日もいつものように、パソコンに向かっていたんです。   朝ですね、柏の自宅で。   八月六日、窓の向こうはよく晴れていました。  え? パソコンでネットサーフィン?   ちがいますよ、仕事です。  七時過ぎに起きて、朝ドラがはじまる前にはすでにパソコンの前にいるのが日課になっていました。  ワードで、短い物語を書いていたんです、童話を。  といっても、書けてはいませんでした。書きたいモチーフは頭の中にあるのに、それぞれが仲よく結びついて、ストーリーになってはくれな

    • ビワの木のこと

      最後の晩餐はビワがいい。 きっとそのときには病気なら食べる力がなくなっていて、あるいは地球滅亡の直前とかでショックで食欲不振で、大好きな鶏の唐揚げは油っぽくて食べられないだろうから、ビワがいい。 そこまで好きなビワ、これがけっこうお高い。 それでも毎年ビワの季節には買い求める。 だけど私は必ず思う。 あのビワの方が美味しかった、と。 うちの裏庭には、大きなビワの木があった。 みかん色の、小さくてころんと丸い実を、いくつもつけてくれた。 その実には小さなアリがけっこうな確

      • 鈴虫とおばあちゃん

        茄子を切ると思い出すことがある。 たとえば虫の声が聴こえるようになる、秋という季節はとくに。   その昔、小さい頃に同居していた祖母が、知人から分けてもらって鈴虫を飼いはじめた。 心臓を病んでいた祖母は、いつも辛そうだった。 それでも毎日、鈴虫の世話を欠かさなかった。 その数、十匹ほど。   水槽の底に敷いた土に、霧吹きで水をかける。 しわくちゃの手で茄子を切っては、爪楊枝に通し、土の上に刺す。 鈴虫たちにごちそうを与えることを、たいせつな自分の役目としていた。   祖母が鈴

        • ざっことドジョウと私

          ザリガニを食べたことのある私でも、ドジョウは食べたことがない。 柳川鍋には江戸っ子の粋なイメージを抱いているものの、どうにも手が出ない。   以前、うちにはときどき、ざっこ屋さんが来てくれていた。 「ざっこ」とは、「雑魚」のこと。 いろいろな種類の小さな川魚や川エビが、ビニール袋にたくさん詰まったものを、ざっこ屋さんは売りに来た。 自転車にそれらを積んだおばちゃんが、えっちらおっちらやって来た。   買い求めた母は、川エビを乾煎りしてから、酒と塩で炒めた。 ざっこは、しょうが

          オタマジャクシのこと

          カエルの中でもアマガエルが好きだった。 中学生の頃、庭の水道のそばに住み着いていたアマガエルの「おばあちゃんガエル」と、よく会話を楽しんでいた。 彼女は外灯に群がる虫を求めて壁によじ登り、いつもグレーっぽい保護色をしていた。 「もうすぐ雨が降るよ」 そんな声が聞こえた気がすると、やがて雨が降りだしたことがあった。   カエル好きの私は、もちろんオタマジャクシも大好きだった。 中学生になっても、オタマジャクシがかわいくて、捕りに行きたくてたまらなかった。 飼って、あの音符が泳ぐ

          オタマジャクシのこと

          桜の下の友

          どうして歳を重ねるごとに、桜の花が好きになっていくのだろう。 一昨年より、去年より、今年のほうが待ち遠しかったし、開花したときのうれしさも強くなっている気がする。   あの控えめなピンク色がいい。花びらの一枚一枚に切れ込みが入っているのもいい。 近くで見ても、遠くから愛でてもよし。散り際まで美しい。   まれに「今年の桜は見たくない」、そんな恐怖にかられることもあるけれど、それでも桜はいつだって春になると、だまってそこで咲いてくれる。 桜が好きだからこそ、見るのが怖くなるのだ

          桜の下の友